top of page
​大英博物館のミイラ
イラスト/@uuco_n先生
ミイラ.jpg

 むかし、ある男が、じぶんの身体的特徴を苦にして死んだ。

 男を慕う人びとは、他人からみればじつに些細な、ごく個人的な悩みのために死んだとは考えられなかった。妻子さえも、男が何らかの社会的使命を帯びた末に、無力を痛感して死んだのだと考えた。そこで、男の想いを風化させてはならない、その死を人びとの記憶に刻みこむのだという決意を胸に、遺骸に保存処理を施し、棺を生前の姿そのままの彫像で蓋(ふた)して手厚く葬った。

 豪勢な葬儀がおこなわれ、最愛の妻と忠実な召し使いたち、生前に築いた莫大な富の一部が、棺とともに墓所に入った。しかし、多数の殉死者や参列者の誰ひとりとして、棺を蓋する彫像が、まさに苦にして死んだ「身体的特徴」をそのままに備えていようとは、夢にも思っていなかった。ただひとり霊魂となった男自身が、あまりにも原型に忠実な彫像をにがにがしく思ったが、それでも生前は人格者といわれただけに、人びとの気づかいに心から感謝し、用意された墓所で眠りについたのである。

 死後数年間、人びとは男をしのんでひっきりなしに墓所を訪れた。が、死後百年ほどが経過すると、さすがに懇意にしていた人びとは誰もかれもこの世を去り、墓所を訪れる客は途絶えた。墓所は掃除をする者もなく荒れ、寂れ、古び、果たして孤独な霊魂が待ちこがれてようやく訪れた客は、いきなり副葬品の金銀宝石をわしづかみにした。盗掘者は目に入る富をすべて奪いとり、そうしたあとで棺の彫像に刻まれた「身体的特徴」を見た――これでは死にたくなるのも無理はない。あまつさえ、たわむれに「その部分」を叩きもしたので、死せる霊魂は激怒し、盗掘者を追いかけてその日のうちに祟り殺してしまった。

 いまや墓所は無尽蔵の秘宝が眠る場所として巷間に知れわたり、盗掘者は引きも切らずやってきた。盗掘者たちは隠された財宝を巧みに掘りあて、棺と彫像を覆う金まで奪ったあとで、おもむろに彫像を見る。みごとな晴れ着を着こんだ彫像の「身体的特徴」はことのほか目立つとみえ、だれもが笑いとともに「その部分」をひとなでするか叩くかするのが常であり、哀れな死せる霊魂は、かつてそのために死を選んだだけに、そのつど尋常ならざる怒りに我を失い、盗掘者たちを追いかけては祟り殺してしまった。いつしか生前の名声は遠ざかり、古き墓所は寄ると祟られる恐ろしい場所として伝えられ、やがて盗掘者さえ近づかない呪われた場所となり、いつかそれすらも忘れ去られて歳月は流れた。

 さて、あるところに貧しい男がいた。貧窮のあまり死にかけていた。このまま飢え死にする運命ならいっそひと思いにと、なけなしの気力をふりしぼり橋の上から身を投げたが、次に目覚めたのはベッドの中であった。男を救いだしたのはさる富豪であり、いわく――どうせ捨てる命なら私におくれ、そうすれば、しかるべき死の時まで腹いっぱいの食事と服と住む家を与えよう。

 その要請とは、呪いのミイラを墓所から盗みだすことであった。むかしから墓所は入りこめば祟られることで知られ、現に下調べに入った富豪の部下は謎の死を遂げている。好事家である富豪としては、ぜひとも呪いのミイラをコレクションに加えたいが、手に入れると同時に自分が死んでは意味がない。そこで一計を案じ、だれかに身代わりとして祟りを受けさせることを思いついた。幸い金なら腐るほどあったし、世間にはすすんで死にたがる者が掃いて捨てるほどいる。それで自殺志願者を探していたところ、渡りに舟、橋の上で身を投げる男に行きあったというわけである。

 それはこのうえなく身勝手な言いぐさであったが、一方、生まれてこのかた満足に食事したことのない男にとって、腹いっぱいの食事と服と住む家を与えるという条件は何よりの誘惑であった。それに、いちど死を決意して実行もした男には、ふたたび死のうが、みたび死のうが、あまり変わらないように思われたのである。よって男はふたつ返事で要請を受け、喜んだ富豪は言ったとおりのものをすぐに与えてくれた。

 男は富豪のもとで養われはじめた。養われるといっても、男が手に入れたのは、富豪の子として生まれるよりもよほど自由な境遇であった。というのも、指示どおりミイラの回収に必要な専門技術を学びさえすれば、残りの時間は何をしていてもよかった。自由に使える金もたくさん与えられた。腹いっぱいの食事に、召使いつきのこぎれいな家、少しでも望んだことは何でも実行できるだけの金と時間、そして、退屈をもてあまさない程度のやさしい義務。貧しい境遇にいて身投げまでしたはずの男は、生涯でもっとも恵まれた時を享受した。

 富豪のもとで過ごすうち、極限まで貧弱だった男の肉体には栄養が行きわたり、やせこけていた頬はふくらんで、土気色だった顔もつややかになった。死の淵から蘇り、今まさに生命を得たという輝きに満ちた男に、心ひかれる女がいたとしても不思議ではない。男は隣家の女中と恋仲になった。生命を加速させる恋が萌芽し、花開き、いつのまにか死は男にとってもっとも遠い概念となった。と同時に、じぶんの軽薄さを激しく悔やむこととなる――あのとき、富豪の申し出を断っていれば――否、申し出を断っていれば、今ごろ生きてはいないだろう。

 恋人はすでに身ごもっていた。かつてひとりで飢えに苦しみ、そのままひとりで死んでいくはずだったのが、幸か不幸か富豪に拾われ、異なる運命へ導かれたことの不思議さに打たれながら、男は恋人と子どものいる世界で生きのびるためにどうすればよいかと考えた。朝めざめると考え、食事のあいだも用足しのあいだも考え、正式に妻として迎えた女と街を歩くたび、女の声を快く聞くたびに新たな力を得ていっそう考え、とうとうある考えに至った。

 運命の日、男は富豪の指示にしたがって粛々と作業をおこなった。不気味な墓所の内部には、死んだ富豪の部下によって道しるべが残され、それに従っていけば何もむずかしいことはなかった。その先にある、なまなましいまでに写実的な彫像が、呪われたミイラの棺である。男は棺を運びだし、つつがなく富豪のコレクション室に据えると、愛しい妻の待つ家へ、男が祟りによって死ぬその日まで暮らしていくことが許された家へと帰っていった。

 食卓につくと、呪われた墓所での武勇伝を妻にむかって語りはじめた。とりわけ力をいれたのは、ミイラの棺を蓋していた、あたかも生きているかのような彫像の話である。なぜなら、その彫像にこそ富豪がミイラに執着する理由があったからだ。さもなければ、得体の知れない、しかも呪いのミイラと噂される古い遺骸など誰もほしがりはすまい。富豪が男を雇ってまでミイラをほしがった理由を、街の人びとは誰ひとり知らないだろうが、男は知っている。富豪が酒に酔ってうっかり漏らしたからだ。

 男は妻に、この話だけは誰にも言ってはいけないと念を押した。この話が街の人びとに知られれば、ほかにもミイラをほしがる者が続出すること必至、そうなれば命の恩人である富豪の不利益になる。妻が神と良心に誓うのを待って、男は語りだした。じつは、ミイラを蓋する彫像にはひとつ不思議な点がある。それは、彫像の「ある部分」の不自然な光沢だ――その意味するところは、「ある部分」が人びとによって注目され、他の部分に増して触れられてきた、ということである。富豪がかつて語ったことには、呪われたミイラに蓋する彫像には、体の「ある部分」を気に病む者が彫像のそこをなでると、悩みを取り去ってくれるという言い伝えがある――ために富豪は、部下をひとり殺してまで祟りの噂を流したのだと。つまり富豪は、すばらしい「ご利益」のある彫像を独り占めするつもりだ。

 妻はきらわれ者の富豪が人並みの悩みをもつことをおかしがり、さっそくでかけていくと、神と良心に誓ったことなどきれいに忘れ、もと同僚である隣家の女中たちに話して聞かせた。憎い富豪の笑い話というので、口さがない女たちは話にとびつき、富豪の密かなる「悩み」とその解決法は、あっというまに近隣一帯にひろまってしまった。近隣の女で知らぬ者がないところまで行くと、次は夫や兄弟、子どもたちである。ある女は洗濯しながら、ある女は鍋を混ぜながら、またある女は床を磨きながら、富豪の「悩み」を吹聴した。聞いた男たちは、ある者は腹の底から笑い、ある者は笑いながら内心ひやりとしたり、笑いたくても笑えなかったりした。男たちの中には同じ「悩み」をもつ者も多かったからである。と同時に、そんなにそのミイラが「霊験」あらたかならば、自分もぜひ「その部分」に触れたい、独り占めとはひどいやつだ、と思う者も多かった。

 勇気ある男が、話を聞いたその日に富豪の家に忍びこんだ。闇に乗じてコレクション室に入っていくと、ほどなくその「身体的特徴」を備えた彫像を発見した。彫像を見るにつけ、男はいたく感激した。古代のミイラが同じ「悩み」に苦しんでいたことで、己の悩みもまた歴史的に宿命づけられたような気がしたからである。それから、言い伝えどおりの「恩恵」を受けるため、いたわりをこめて彫像の「その部分」をなでた。そして、こそ泥をして生計を立てていたそれまでの人生ではありえないほどの真摯さで、どうか救ってほしいと祈りを捧げ、ついでといったようすでミイラ本人の冥福も祈っていった。

 困惑したのは、ミイラの持ち主にして、生前「その部分」を苦にして死んだ霊魂である。霊魂は、無礼な盗掘者に嫌気がさして以来、彫像に触れる者は誰であれ、たとえ「その部分」に触れなくとも祟り殺してきた。しかしそれも、霊魂の「身体的特徴」をあげつらい嘲笑う失礼千万な盗掘者が多かったためであり、理由がないわけではなかった。たしかに、今日の客も「その部分」に触れた。が、ばかにしたようすは一切なく、むしろその客も明らかに同じ「特徴」を有しており、しかも顔見知りの人びとが捧げたよりもいっそう切なる祈りを捧げていた。あたかも神に捧げるような、憎しみも恨みも呪いもない、純然たる切実さが、その祈りのすべてであった。霊魂に理解できたことは、霊魂の理解を越えたところで何かが起こっているということだけだ。

 霊魂の困惑はこれで終わりではなかった。その男を皮切りに、「ご利益」のことを聞きつけた男たちが次々と勇気を出したのである。富豪の留守、あるいは富豪が眠りについた真夜中、はたまた富豪が離れにいる時間等々を見計らって、「ご利益」を願う男たちが続々とコレクション室に忍びこんできた。しかも、男たちはみな心のこもった祈りを捧げるので、霊魂とて無碍にはできず、むろん祟ることなどもってのほか、さりとて願いを叶えてやることもできず、わけもわからず混乱の渦に陥るのであった。

 棺がまだ墓所におかれていた頃、日に二組もの盗掘者が訪れることはそうそうなく、祟り殺すときは一人を追いかけさえすればよかった。が、今では理解に苦しむ誠実なる訪問者があたら多すぎ、そういえばそもそも最初に棺を墓所から盗みだした者を祟るはずが、もはやそれが誰であったのか、どこに追いかけていけばよいのか、霊魂にはわからなかった。ただ、やはり同じ「身体的特徴」を有するある老人が、暇さえあれば棺を訪れてはうっとりとなでまわすのが心底うっとうしく、さらには「その部分」がなぜかこの頃ますます光沢が出ているのをそれは何度も残念がるので、霊魂はとうとういつものように腹を立てて、老人を祟り殺してしまった。

 老人、すなわち富豪の死後、残された夫人は亡き夫の考古学コレクションを気味悪がって、詳細に調査することなく二束三文で手放した。こと祟りの噂のあるミイラについては、部屋に入ることすらいやがり、屋敷はミイラの棺を安置したまま処分された。ミイラを回収させた男に貸していた屋敷も、やはりミイラに関わっただけに気味が悪く、タダ同然で男と妻子に譲り渡した。こうして、ある企みが予想以上の成就のうちに幕を閉じたことは、当人以外だれも知らない。

 ところで、ミイラつきの屋敷を買いとったのは教会であった。教会は安価な物件という以外には関心をもっていなかったので、購入後、安価な物件につきものの「いわく」を知ると、見なかったことにして部屋ごと覆いをかぶせた。さらには、その上からしっくいを塗り、ただの壁のように見せ、祭壇や十字架を設置して、すっかりミイラを封じてしまった。ミイラは教会の礎石となったのである。

 ところが、後年、信者数の激減に危機感を覚えた教会は、遅まきながらミイラの棺の言い伝えを知って、棺を掘り起こした。果たして、ある「身体的特徴」が治ると評判の棺を聖遺物として公開するや、さびれた教会には人びとが殺到した。むしろ男性信者が増えすぎ、一部の女性信者は恥ずかしさに教会へ通ってくることができず、その夫や兄といった男たちが代理の祈りを捧げるのであった。

 人びとは続々と訪れては彫像の「その部分」をなでた。もともと不自然に光沢をもっていた「その部分」は、人びとが触れるごとに輝きを増した。生前、霊魂たる男が悩み苦しんだ「部分」は、今やますますもって人目をひき、訪れる者でなでるべき部位をまちがえる者は誰ひとりなく、いっそう磨きをかけられていく。同じく悩める人びとは、知らず彫像の持ち主たる霊魂の苦悩をいや増しながら一心に祈ったので、かつて呪いのミイラと呼ばれた死せる霊魂は、誰を祟ることもできず、またしても歳月は過ぎ去った。

 ある日、棺のおかれた地下室に、祈りも願いもしない男が現れて、「その部分」のみならず棺全体を丹念に調べた。

「むかしから、ただ、祈りを捧げると自分の薄毛も引き受けてくれる、といわれていたんです。聖遺物とされていますが、どこにもそれ以上の記録はありません。いったいどんな聖人なのか……」

 そのかたわらで、若い修道士が言った。「このとおり、額だけが光っているでしょう。ずっと、ここだけが触られてきたんですね。薄毛というと親しみを感じますが、ものはそうとうに古いはずですし、状態が心配になりまして、ご連絡さしあげたわけなんです」

 修道士は調査員に話しながら、「その部分」――彫像の輝く頭をなでたが、霊魂は怒らなかった。死せる霊魂の怒りは、疲れ、摩耗していたからである。懇意にしていた人びとによって彫像がつくられてからかれこれ数千年の時を経て、巷に奇妙な噂が流れるたび、生前同様はげあがった頭は祈りとともになでまわされ、輝きを増しながらここまで来た。今では、かつて彫像を覆っていた金も数かずの副葬品もなく、触られつづけた頭だけが異様に輝いている。

 調査員は調査を終えると、持ち主である教会の要望どおり、ミイラを地下室から運びだした。慎重に慎重を期して保存処理を施したうえ、ほんらい棺が納められていたと考えられる墓所で大規模な調査をおこなった。その結果、かつて彫像がまばゆい黄金に覆われていたことがわかり、原型を再現したレプリカも製作された。

 そして現在、ミイラと彫像とレプリカは、巨大にして偉大なる国立博物館の一角に展示されている。完璧に温湿度を調整されたケースの中で、歳月とともに磨かれつづけた彫像の哀れな額は、貴重な考古学的遺物のひとつとして、今後も半永久的に保存が試みられるであろう。

 いうまでもなく、そのかたわらには復元された金の彫像も展示されており、そちらの額はいっそうまぶしい。

Fin.2010.5/10

© 2022 by Kakura Kai / このサイトはWix.com で作成されました

  • Twitterの - ブラックサークル
  • Instagramの - ブラックサークル
bottom of page