top of page
​メテオ・ガーデン

03. 理論上、絶対<1>

「やーめーろーやー!」

 ぱぁん、とギルヴィエラの手が鳴り渡る。コレペティートルのファナがびくりと震えあがり、ピアノが止まる。

「サイレてめえ、やっと出てきやがったと思ったら! もう感情入れるどころか、音の強弱つける気もないってのか」

「そうですかね」

「そこ、ピアニッシモだって書いてなかったか? あたしの視神経が異常をきたしてるってのか? ん? メゾフォルテのままフラットに歌いつづけてんじゃねー」

「そうですかね」

 返答も、同じメゾフォルテの音量のまま、まったく平坦。

「主役が上の空かこの野郎ッ!」

 元歌手でもある団長のフォルテッシモが、リハーサル室に響きわたった。それなりに繊細な神経をもつだろう歌手たちは、両手で自分の耳をふさぐ。

 ギルヴィエラはサイレの至近距離まで近づいてきて、まじまじとサイレの目の中をみつめる。サイレの目はうごかない。

「わかったよ」

 ギルヴィエラはふたたび、ぱぁん、と手を叩いた。「その『病気』、治るまで出てくんな。当分、練習は主人公なしで行う」

「うえぇー?」

 耳から手を離し、団員たちが叫ぶ。「多少抑揚なくても主人公いないと困りますよ!」

「ラケルタ」

 舞台下手でドリンクを仕込んでいたラケルタが、顔を出した。トレードマークの三つ編みが揺れる。

「ラケルおまえ、楽譜全部覚えてるんだったな? サイレの代わりにオーレンダに入れ」

「わたしは歌はうたえません。ごめんなさい」

 おおかたの予想に反して、きっぱりとラケルタは言いきった。

「ヘタでもいい」

「歌えないんです、ギルヴィ。ハンディピアノを借りてきて、それでオーレンダのパートを弾きましょうか? それなら立ち位置もとれます」

「いいだろう。ムリ言って悪い」

「こちらこそ、ごめんなさい」

「というわけで、上の空野郎はとっとと帰れ。ほかは練習再開。ラケルタは走れよ」

 サイレぇ、というイヴのつぶやきを背中に、サイレは出ていく。ラケルタは駆け足でサイレを追い抜き、

「みんな、待ってるから」

 と、声をかけていった。

 リハーサル室を離れ、廊下を曲がったところで、一人の女の子を囲む男の群れと行きあった。関わりあいになりたくないサイレは、ぶつかるまえにかわして道をあけた。

 中心にいたのは、アクアマリンの瞳をした女の子。

「シファさん」

 心臓が高鳴りはじめる。シファは男たちの群れの中から、サイレにむかってほほえんだ。

「お帰り? 見学にきたのだけれど」

「団長に追いだされたところです」

「それ以上シファさんに近づくな、サイレ・コリンズワース」

 男たちの中から少年がひとり進み出て、二人のあいだに立ちはだかる。

「僕はシファさんの保護者だ。当家でシファさんをお預かりしている」

 言って少年は、さほど障壁にもならない低い身長で、一生懸命胸を張った。「僕はジュピター・パンタグリュエル。パンタグリュエル家の名は知っているな? トリゴナルBにいらっしゃるシファさんのご両親が、美しいお嬢さんを心配されて、パンタグリュエル家に託されたのだ。ボーイソプラノか何か知らんが、シファさんに近づくな」

「あなたにご両親なんているのが不思議です」

 仔犬のように吠えたてる背の低い少年を無視して、ほぼ同じ身長のシファに直接話しかける。少年はぴょんぴょん飛びはねたが、シファの顔には届かない。

「わたしもよ。でも残念だけど、両親なしには生まれてくることができなかったの」

 彼女流ジョークに、笑いが起こる。「サイレ、あなたもそう思っている——ちがう? 自分に両親なんているのが不思議だと」

「ええ」

「わたしたち、気が合うのかしら」

「おれとデートしてください」

 はあッ? と、ジュピター少年がぴょこっと高く跳ねた。シファのあごのあたりを、少年の明るい色の巻き毛がかすめた。

「おれとデートしてください、シファさん」

 おい! と少年が両手で目の前をブロックしてくる。サイレはシファの水色の瞳を見ながら、自分の心臓がどくどくと鳴りつづける音を聞いていた。

「オペレッタの伊達男みたいに、バルコニーの下で歌ってくれる?」

「いいですよ。ギターは弾けないので、アカペラでもいいですか?」

 シファはくすくすと笑う。少年は懲りずに跳ねている。

「いいわ」

「シファさん! パンタグリュエル家は、シファさんをお守りする責務が」

「ジュピター・パンタグリュエル」

 シファはその氷の湖のような瞳を、小さな少年にむけた。はいっ、とジュピターは直立不動になる。

「会話の邪魔」

「そんなぁ」

 シファは身をひるがえして歩きだす。取り巻きがあわててついていった。

「おい! サイレ・コリンズワース」

 なぜかジュピター少年が残った。

「男に迫られてもうれしくない」

「僕だってそうだ! 知っているか? このトリゴナルKの最下層は、葬送エリアだ」

「知らない人はあまりいない」

「まあ聞け。葬送エリアから死体を〈毒の海〉に流すのが、このトリゴナルの葬礼だ。スペースが限られているトリゴナルには、死体を埋めておくようなスペースはないから、トリゴナル以前のように死者のために墓を建て、死後何年にもわたってその死を悼むなんて文化は消えてなくなった。それこそ、〈毒の海〉の底に消えたというものだな」

「あ」

 サイレは思いだして、口をはさんだ。「パンタグリュエルって、〈墓もち〉の」

「いま気づいたのかよ! そうだ。パンタグリュエル家はトリゴナルKの中で、最下層に墓所を所有している数少ない名家。正確には二十二の家が墓所をもっている。トリゴナルKの市民のうち、墓に入ることができるのはこの二十二の旧家だけで、あとの市民は棺ごと〈毒の海〉に葬られる。

 このパンタグリュエル家の墓所の歴史は長く、かつてトリゴナルの外に存在していた墓所を、代々のパンタグリュエル家メンバーの遺骨入りの棺ごと細心の注意を払って移築したんだ。パンタグリュエル家は三千年の昔、古メサウィラ時代に帝王アルキス一世にとりたてられ、上流階級の仲間入りを果たした。よって当家の墓所にもまた三千年の歴史があり、最初にその棺を葬られたのは当時の、って、僕はこんな話がしたいんじゃない」

 こんな話がしたかったんだろうな、とサイレは内心思った。

「そう、最下層! 最下層の話だ。最下層にあるのは、ひとつは葬送エリア、ひとつは二十二家の墓所、ひとつは動物園、そしてもうひとつ」

「廃棄物処理エリア」

「そういうことだ! トリゴナルの廃棄物は分別されたうえで、有機物は分解されて〈海〉の中に散布、無機物は種別ごとキューブ状に圧縮されて〈海〉の底に沈められる。それは廃棄物処理エリアからトリゴナル外へ排出される」

「説明どうもありがとう」

「つまりだ、トリゴナルでは、死体もゴミも同じところに行く。何を言いたいかというと——芸人ふぜいがシファさんに不埒な真似をしてみろ。肉体の死を迎えるまえに〈毒の海〉の底に沈めてやる!」

 

 

​To be continued.

© 2022 by Kakura Kai / このサイトはWix.com で作成されました

  • Twitterの - ブラックサークル
  • Instagramの - ブラックサークル
bottom of page