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​メテオ・ガーデン

03. 理論上、絶対<3>

 メサウィラ帝国帝王アルキス一世。

 彼は、あらゆる意味で〈早すぎた改革者〉だった。いまだ少年の眼をもっていた彼が、拙い足どりで一歩一歩すすめた試みは数多い。

 たとえそれが、後世においては常識だったとしても、三千年の昔にはまだありとあらゆる迷妄の茨にからめとられていた。彼は、その茨を焼き払い、光のもとにさらした。しかし、ひとたび生い茂った迷妄の茨を根絶するのは容易ではなく、完全にその根が消滅し、凡人たる人々が英君の意思を理解するには、ゆうに三千年の時を要した。

 軍隊規律、官僚制度、身分制度、食料生産技術、土木建築技術、歴史叙述方法など——その最たるものが、〈アルキス一世の占星術〉ということわざにもなった、天文学である。これは、トリゴナル内での人類史が始まると同時に発見されたメモリア解析技術によって、ようやく人々の集合知が古代の帝王に追いついたといえる。

 裏を返せば、まだ人々の集合知が帝王アルキスにはるかに及ばぬ時代、アルキス自身がまだその人生を懸命に生きていた時代において、帝王がいかに孤独な存在だったかということを想起させるのではないだろうか。しがらみの泥沼に、細身の槍で挑むことをくりかえすうちに、爪の奥にまで入りこんでくる執拗な泥に苛まれ、それでいて一度ふりあげた槍を下ろすこともできない、悲しき帝王の姿を。

 帝王は、二十九歳の若さで地上を去った。みずからの妃に刺殺されるのが、苦悩する青年のたどった運命だった。生涯、苦悩の海の底に沈んだまま、光を求めてもがきつづける人生だった。

 青年がみいだした光こそ、かの占星術だったという。それは、青年が命じて残させた歴史書『メサウィラ全史』に記述されている。

「心ならずも滅ぼしたいくつかの都市や部族は、天文学の発展と〈毒の水脈〉の根絶のためだった、と『メサウィラ全史』は正当化している。ティンダルを滅ぼしたのもな」

「人類の歴史は、まるで〈毒の水脈〉との戦いの歴史、負けの歴史ですね」

 学生が発言する。

「トリゴナルの建設は、いうなれば数千年にも及ぶ戦いの、決定的な負けといえそうです。歴史にIFはないとはいえ、〈アルキス一世の占星術〉の方法が古メサウィラ期のうちに散逸していなければ、今ごろ〈毒の海〉はなかったかもしれません」

「歴史学者の仕事は、ファンタジーの記述ではありません」

 カタレナが言った。豊かな縦ロールの金髪をかきあげて。

「私たちは、目の前におかれた事実に、解釈をほどこしましょう。ただ客観的に、IFもなく。〈星々の庭の歌〉と呼ばれる歌物語、あれが〈アルキス一世の占星術〉にとって何か重要な役割をもっていた、それはまちがいないと思います。

 でも、困るのは……あまり科学的とはいえないできごとが起こっているということですね。メモリアの持ち主である『エンジュ』と、メサウィラの王女でスパイだった『マリオン』があの歌によって目撃したのは、幻だったのか、夢だったのか。二人はそろって催眠状態にあったのか」

「神の力が生きていた、とでも言いたくなりますね。実際、『メサウィラ全史』の記述には、星神の力を直接に動かし、星々に影響を及ぼしたとあります」

「そりゃあ、ファンタジーですねえ」

 ラボ員たちは苦笑した。とはいえ、これこそ今まで発見されてきたメモリアの中でも最古のものにふれている醍醐味でもあった。古代を生きた人間と、今を生きる人間の世界観のちがいを、実体験している。

「しかしファンタジーも、求められれば何度でも再現できるとなれば、科学といってかまわないだろう。あの歌を現代の音響で再現し、〈アルキス一世の占星術〉の真髄が今に蘇れば……スピリチュアル界の専売特許が、科学に変わる。えー……」

 叔父は咳払いした。「神々の御世~♪ 星々の下なる丘にて~♪ 星の子墜つ~♪」

「うわっ、全然ちがいますわよ、それ!」

 カタレナが音をたてて席を立つ。

「全然歌物語にきこえないっすよ! 発音もひどいし!」

「悪かったなあ」

 ブリーフィングの席上、叔父が唐突にリサイタルを始めたので、ラボは騒然となった。

 サイレはその一角にいて、叔父がブーイングを浴びるのを眺めていた。

 ——エンジュの歌。

 まるで、毒をはらんだ草原の風が、吹きつけてくるような、とサイレは思う。あの場所で生まれた、あの場所で歌われるべき——歌。

 

〈神々の御世、星々の下なる丘にて……〉

 

 サイレは思いだして歌う。

 言語はオペレッタ「オーレンダ」と同じく、楽劇作品の歌詞としてのみ現代に受け継がれている古語だ。サイレはこの発音に慣れていた。

 

〈星呼ばいしは 贄なる幼子なり……〉

 

 瞬間——星が、目の前に飛び散った。

 夜が、舞台上の幕のように降りてくる。

 

 次に、せきこんだ。しばらくオペレッタの練習を休んでいたうえに、発生練習なしで高音を出そうとしたからだ。

 夜の帳があがる。あっと思うまもなく。あとは、いつもどおりのラボだった。

「サイレ!」

 叔父に肩をつかまれた。

「痛っ」

「おまえの歌、なんなんだ」

「〈奇跡のボーイソプラノ〉とはいいますけど……サイレ君」

 いつも冷静なカタレナも、呆然とサイレを見る。

「もう一回だ。再現しろ」

 叔父に命じられ、サイレは息を吸いこむ。だが、叔父に胸ぐらをつかまれていて、ろくに息が入ってこない。あげく声が震えた。星の白昼夢は、ふたたびラボメンバーを訪れることはなかった。叔父は乱暴にサイレを立ちあがらせ、入口の自動扉へ追いやった。

「サイレおまえ、歌の練習行け! なまらせるな」

「でもおれ、団長から来るなって」

「いいから行け。その声、使えるようにしとけ」

 サイレは今まで、星〈メモリア〉のことを、終わった過去の映像を眺めるだけだと思っていた。ホロ映画を閲覧するようなもので、今とは何の関係もない、関係あるのは歴史学者だけだと、そう思っていた。けれどやはり、メモリアを見ている自分は、「今」を生きている。

 メモリアに映るものもまた、「今」「ここ」のできごとであったなら——怖がるエンジュを、守ることができたかもしれないのに。

 

 

​To be continued.

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