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​メテオ・ガーデン

06. ハートブレイク<2>

 イリルアン要塞が陥ちた。

 それは、エンジュたち一行が、いまだにその地に到着していないうちのことだった。

 反メサウィラの旗のもとイリルアンにほど近いサーナンデの街に結集しつつあった戦士たちは、落胆した。サーナンデにたどりついた一座は、街に入るや、そこに流れる失望の空気を察知した。

 一座の大半は安堵した。ひとたびイリルアンに入りこんでしまえば、勝敗が決するまで、入りくんだ要塞を脱出することは困難だ。イリルアンが陥落したとなれば、逃げ場のない戦場を回避できたわけで、安堵の吐息をもらすのも当たり前だった。

「戦いは終わった。ここに俺たちの食い扶持はない」

 ユーダとリアンが相談しているのを、エンジュは何もいわず見ていた。

 

 深夜、密かにサーナンデの街を離れ、外に待たせておいたルルを呼びにいくと、トカゲはすぐ立ちあがった。

「やっとユーダたち、あきらめてくれたみたい。またふたりきりだね、ルル。マリオンのこと覚えてる? わたしを彼女のところへ連れていって」

 首すじをなでてやり、手綱をとった。

「自信はないの。だって、わたしは一度もマリオンに勝てたことないから。戦ったことすらない。だけど戦う」

 ぽんと首すじをたたく。人っ子ひとりいない〈草の海〉の夜を、巨大なトカゲが前進していく。

「静かに、静かにね」

 市中の宿で眠る一座の連中が、今さらエンジュに気づくことはないだろう。けれど、エンジュはそういわずにはいられなかった。

 あのおせっかいのことだ。万が一気づけば、また意地になってイリルアンまでついてきかねない。ユーダたちはなんでも与えようとする。エンジュには何もあげられない。それをわかっていて、与えようとする。何もできずに、エンジュは彼らをおいていくしかない。

 イリルアン要塞は、おそらくメサウィラによって焚かれたのだろう大量の松明によって赤く照らされていた。遠目に赤い光におおわれた岩山が見えたとき、エンジュは歌をくちずさもうとして、やめた。逃げられない戦いが、目の前にある。

「ルル、連れていって」

 黒い眼がうごき、前方の岩山へとむけられた。力強い足で草地を踏みしめ、走りだした。中にいるメサウィラ兵に気づかれれば、戦いになる。マリオンのところにたどりつくまでの道をふさぐものは、倒す。

 エンジュはルルの背中に立った。こうして何度も、戦場で刃を振るい、なんのかかわりもない敵兵を倒してきた。

 ——この刃は、マリオンのため。

 自分の呼吸の音を聴く。吐く。短く吸う。吐く。バングルに巻きつけた鋼の糸を解き放つ。息を吸いこみ、夜の闇のなか、鋼の糸を引き戻す。

 ——戦える。

 遠くで鬨の声があがった。ルルと突き進むエンジュをこちらに残したまま、戦いの火の手があがったのは、要塞のむこう側からだった。

「どういうこと?」

 ひとりごちて、だが足はとめない。だれも殺さずにすむのなら、そのほうがいい。用があるのはマリオンだけだ。

 まさか、と脳裏によぎる。けれど今は——

「ルル!」

 エンジュはアルバ・サイフをバングルに巻き戻し、ルルの背に腰を下ろす。

 眼前に、黒い絶壁が迫った。

「行って」

 エンジュのかけ声と同時に、ルルは岩肌にとりついた。トカゲの足が垂直な壁をものともしないのは、彼がエンジュのてのひらに乗っていたころとなんら変わらない。

 大トカゲはエンジュを背に乗せたまま、壁を駆けのぼっていく。自分の重さが、エンジュにのしかかってきた。強い力で地面に引き寄せられているかのようだ。

 ルルと同じ身体機能をもたないエンジュは、彼の首にしがみついているしかない。腕だけではこらえきれず、両手足でルルの胴体にからみつく。

 ルルのほうも、いつもの余裕はなかった。必死の体で垂直な壁を踏みしめ、一刻の猶予もないとばかり進む。本来、ルルの体重だけなら何も問題はない。エンジュは荷物なのだ。

「ごめんね、もう少しこらえて」

 エンジュは、額をルルの背中に押しつけた。なでてやりたかったが、エンジュも自分の体重を支えるだけで精いっぱいだった。祈るように、岩壁の上をにらむ。

 どこまでのぼれば頂上にたどりつくのか。あまりにも遠く思える場所から目を逸らしつつ、エンジュはひたすらルルにすがりついていた。

 また頭上を見やったとき、

「上が——頂上が! ルル!」

 壁のむこうに、星がきらめいていた。その空は、かすかに赤らんでいる。

「さあ、行こう」

 ルルは少女の声にこたえるように、弾みをつけて壁の上へ飛びあがった。

 星空に、飛びこんでいく。

 ところが、

「……エンジュ」

 そこで待っていたのは、希望でも、少女が望んだ戦いでもなかった。

​To be continued.

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