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​メテオ・ガーデン

08. 運命を曲げ、従わせる者<13>

 エンジュは、樹上城ですべてを与えられた生活を送った。

 あらゆる意味で飢えと渇きから遠ざけられ、欲しいものは寝床から一歩も動かずとも手に入れることができた。会いたいときはいつでもアルキスに会えた。一方、アルキスの欲しいものは、エンジュが与えた。

 樹上城の星博士たちによって、星の配置の研究が進められた。どの星がどの国にあたり、どのような連関をもって星がめぐっているのか、徐々に明らかになった。

 星は国だけではない。ありとあらゆる命にその運命を司る星がある。細かい星くずは、無数の命たちだ。それは、〈星々の庭〉でエンジュが触れると、簡単にうごく。その運命は、曲がる。

 アルキスは、エンジュとともに〈星々の庭〉に入ることはできたが、星をうごかすことはできなかった。アルキスの指先は、水中をただよう星々に触れることができない。エンジュだけができる。だからアルキスはエンジュを手放さない。

 星に関する実験と観察がくりかえされる中で、アルキスが運命を曲げることを望む星があれば、エンジュはその位置をうごかした。星の位置が変わるとき、その運命は変わる。

(わたしは何なんだろう?)

 ティンダルの日々は、ティンダルを失ってからの日々は、ザイウスたちとの日々は、ユーダたちとの日々は、いったいなんの意味があったのだろう。

 そして、今ここにいて星をうごかしていることに、なんの意味が。

(わたしは何のためにいるんだろう。星をうごかし、運命をうごかす者。こんな者が存在していいの? それを許すのは誰?)

 ——星神……?

 母なる星神、とストリキオは言っていた。星神は〈母〉として何を求めているのだろう。

 疑問には、思う。けれど心がうごかない。

 何かが、自分にとってまちがっている。それはわかっている。

 平穏な日常と、運命をうごかす罪深さ。

 アルキスのとなりにいる、この幸福。

〈星々の庭の歌〉——星神と、星の子シリウスの賭けの物語。それがなぜ、エンジュのための歌なのか。スエンは死に、ストリキオは死んだ。エンジュに何かを教えてくれる者はもういない。

 ある日エンジュは、メサウィラに反目する国々の星を、アルキスの指示で次々に堕とし、その後一か月のうちに内乱や流行り病で滅びていくのを目の当たりにした。

 メサウィラへの抵抗勢力は徐々にその数を減らし、人も物資もメサウィラに集まり、樹上城の周囲はいまだかつてないほどの繁栄を迎えた。

 アルキスは、朝貢する国々がどんなに豪勢な贈り物を届けても、円形の天空の下でみずからに平伏する諸国民を睥睨しても、決してその手をゆるめることはなかった。メサウィラの繁栄はとどまるところを知らなかった。

 ところが、肝心のアルキスの星を、星博士たちは発見することができなかった。それは、〈星々の庭〉のなかでのエンジュも同じだった。

〈星々の庭〉がすべての星を司る場所であるなら、アルキスの星もその中に浮かんでいるはずだ。けれど、エンジュはアルキスの星だけはどうすることもできなかった。

 まるで、見えない何かがエンジュの眼をふさいでいるかのように。

 見えない何か。それが星神なのだろう。それがエンジュに〈星々の庭の歌〉を与え、エンジュに星をうごかす力を与えた——アルキスの星と、エンジュ自身の星、それにトカゲのルルの星を除いて。

 

 彼の帝国は栄えた。彼に仇なす者は消えた。

 それでも、彼の運命は曲げられない。彼の星が、エンジュには見えない。

 焦燥とともに、エンジュを支配するのは、どうしようもない異和感だった。

 ちがう、これではない、という思いが、日々募った。一度はアルキスのそばで異和感は消えたと思った。異和感に苛まれた日々が幻のようだった。しかしその考えこそ幻だった。ひとたび蘇った感覚は、絶えずエンジュを責めた。

 ちがう。そうじゃない。何かを見落としている。このままでは——「望みは叶わない」。

 たとえアルキスの星を見いだし、アルキスの運命を曲げられたとしても。帝国の繁栄が永遠につづいたとしても。今のエンジュは本当ではないのだと、自分のなかの何かが訴えてくる。

 静かで平穏な日々。樹上城の一角で、ときおりマリオンとすれちがう一瞬だけが、緊張感のある数少ないひとときだった。

 マリオンは金の瞳を細める。視線は交わらない。樹上城での安寧を与えられた唯一の王女。その代償はティンダルの滅亡。

 エンジュは思う。

 この安寧が、マリオンが求めたものなのだろうか?

 ——逃げて、逃げて、どこまでも逃げて、もっと強くなりなさい。強くなったあなたを——わたしが殺すわ。

 それで、終わりにしてあげる、マリオンはそう告げた。

 そのマリオンが、穏やかな日常のために行動する? エンジュが本当でない今、きっとマリオンも本当ではないのだろう。それだけはわかる。けれど、それ以外のことは、何ひとつわからない。

 

 エンジュはただ、アルキスの命令を聞き、夢の庭で星をうごかし、マリオンと無言ですれちがうだけの日々をすごした。

 樹上城の安寧は、目覚めていても眠っているのと変わらない日々をエンジュにもたらした。

 次に自分の呼吸を感じたのは——目の前で、アルキスが崩れ落ちたときである。

 

 少女は夢をみていた。

 そのころには、歌をうたわなくとも、〈星々の庭〉の夢の中に入ることができるようになっていた。平穏のあまり、日に日に夢とうつつの境が曖昧になりつつあった。

 いつにない不穏な物音で夢から抜け出たとき、少女はしばらく現実に帰れなかった。

 しかし、寝床の外で崩れ落ちるアルキスを見たとき、その背後にマリオンを見たとき、のみこんだ息が全身に行き渡るのを感じた。

「あなたが悪いのよ。ちっとも思いださないから」

「——マリ、オン」

 それは朝方だった。あの金色の髪と赤い瞳が、アルキスの寝室のなかに立っていて、灰色の光を浴びていた。

 うすもやのかかっていた視界が、一挙に晴れた。床にこぼれ落ちた血潮と、マリオンの手足からのびた刃と、倒れ伏したアルキス。

「もう、終わりにしましょう」

 自分のからだが冷えていく感覚と同時に、眼の奥で何かがあかぐろく点滅した。

「マリオン——!」

「エンジュ……、アルバ・サイフはどうしたの? あなたはティンダルの戦士ではなかった?」

 マリオンは憐れむように言った。

 エンジュは寝床を飛びだす。アルバ・サイフは、メサウィラの王妃になった日からしまいこんだきりだった。

 引っぱりだしたそれを手足にまとい、少女は駆けだそうとした。が、何かに足をとられて、その場に転倒した。まさに自分の足にまとったその武具が、少女の足に絡まったのだった。

 その一部始終を、マリオンは見ていた。

「もういいわ。もう待てない」

 心からつまらなそうに、吐き捨てた。

「どちらにしても、あなたは負けよ。私は勝った。何ひとつ、おもしろくはないけれど。——先に行くわね、シリウス」

「ルキフェル」

 その瞬間、その名前がエンジュの口を突いて出た。〈ルキフェル〉。たしかにマリオンのことをそう呼んだ。

 物音を聞きつけて、兵士たちが部屋に入ってくる。血にまみれた刃と手足をしたマリオンの姿に、兵士たちは即座に判断を下した。マリオン——ルキフェルはほほえみ、足どりもゆるやかに兵士たちのもとへむかう。

「待って!」

 エンジュはとっさに叫んだ。

 金のたてがみをもつ女は振り返り、そして何も言わなかった。女は、兵士たちの槍のまえに身を投げだした。

 

 

 メサウィラ帝国は、帝王と王妃と王女を一度に失った。

 帝王アルキスは妹のマリオン王女に殺された。

 それは現場を目撃した兵士たちの証言によって明らかだったが、〈運命を曲げ、従わせる者〉アルキスを支え、帝国の繁栄の一因にもなったとされる王妃が、帝王が殺害されると同時に姿を消したため、王妃が関与したのだとささやかれ、エンジュは追っ手をかけられることとなった。だが、その行方は杳として知れなかった。

 帝国を継いだのは、追放されていたアルキスの兄弟姉妹のひとりだった。しかし、メサウィラ最大の繁栄をもたらしたアルキスの方策を知る者はおらず、残っているのはアルキスという頭をなくした星博士やその膨大な記録ばかりで、それをどのように活かして帝国を運営していたかは明らかではなく、ただ積み重なっていく記録にのみこまれるようにして、メサウィラは静かに衰退していった。

 大樹に寄生することで成り立っていた樹上城も、アルキスから三代あとの帝王の治世において、倒壊した。

 城の老朽化に気づいていた帝王一族は、その運命の日をまえに城を出ていたが、繁栄の本拠地となった樹上城を失ったメサウィラが、ふたたび往年の繁栄を取り戻すことはなかった。

 しばらくは樹上城の足もとで帝国を再建していた一族は、〈毒の海〉の拡張と〈恵まれた中洲〉の縮小によって、その地をあとにすることを余儀なくされ、やがて樹上城の跡地は澄んだ水色の海の下に沈んでいった。

 

 

 その人は眠りについていた。

 棺におさめられ、しかるべき処置を施されたその人は不思議なほど安らかで、少女は生前この人のこんな表情を見たことがないと思った。

 ほしかったものはこれかもしれない、とも少女は思った。この人が生きてそばにいるあいだは、一度も手に入れることができなかった。

 頬に触れる。

(冷たい)

 この冷たさを、彼女は知っていた。

 自分が殺した人々が折り重なる戦場で。あるいは、彼によって滅ぼされた故郷で。いや、それよりももっと前に。

「わたしは……」

 この冷たさを、できれば忘れていたかった。だが、忘れたままでは、自分が何なのかもわからない。

 むしろ、この冷たさの記憶の中に、自分自身がいる。それはきっと、少女が少女としてすごしてきた生涯のはじまりよりも、ずっと遠い昔のこと。

 この人は、あっというまに冷たくなった。けれど〈その人〉は、少しずつ……本当に時間をかけて、冷たくなっていった。

「わたしは〈シリウス〉。星の子ども」

 それはそうだ。でも、そうではない。

 求めている答えは、それではない。

「わたしは、……誰?」

 

 きみ は だれ?

 

 少女は、はっと息を吸いこむ。

 

 ——きみは誰? ……

 

 

「……わたしは、あなたの言葉から生まれたの」

 

 涙が、こぼれた。

​To be continued.

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