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​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<1>

 ——遠い昔、神さまと賭けをした。

 

 

「ラケル?」

〈OK〉と表示された端末を、少女は凝視する。

 止まっていた時間はうごきだしたのだと、いや、少女自身を遠い過去に残したまま、ひたすら流れ去る一方だった時間が、とうとう少女を受け入れたのだと思うと、からだがすくんだ。

 賭けは終わっていない。何度でもチャンスはある。チャンスの訪れは一瞬で、チャンスはあっというまに走り去る。

 しかしその分、チャンスが訪れるまでの長い退屈な時間を、何度も過ごさなければいけないのは、ひとつの拷問といってよかった。きっと神は、自分が降参して望みを捨てるのを待っているのだろう。

「ラーケールっ」

「あ、はい」

 肩のあたりでふわふわの髪を切りそろえた友人が、ホロと視線のあいだに顔を出した。顔と顔があまりにも近くて、ラケルタは静かにうしろに退く。

「帰らないの? メッセ? だれ?」

「昔の……知りあい。ほとんど会ったことはないんだけど。これからちょっと会ってくるから、イヴ先に帰っててくれる?」

 イヴはホロとラケルタとのあいだに挟まったまま、じっとみつめてくる。

 ときどき、この親友には何もかも見透かされているような気がした。サイレとはちがい、不思議を不思議だと知っていて、それを感じとる眼があるイヴだ。シファのことも、わかっていてサイレとのあいだを邪魔していたふしもある。

「それが、今ラケルにできることなんだね。サイレのために」

「イヴのこと、ときどき怖い」

 ラケルタは苦笑した。

「だけど少しちがう。サイレのためなんかじゃない。私の身勝手な願いのために私は戦う。そのために、むかし預けていたものを返してもらいにいくの」

「その人、ラケルに協力的?」

「どうかしら?」

「そっか。いってらっしゃいっ」

 またね、と手を振って、イヴは走りだす。

 ラケルタは友人の姿が見えなくなるのを待って、歩きだした。行き先は高速エレベータ乗り場だ。ひとりリフトに乗りこんで、ラケルタはシートベルトを締める。ほかのリフトでは、人々が和気あいあいとおしゃべりに興じながら、それぞれの目的地にむかうのが見えた。

 ほぼ同時に出発したリフト群は、しばらくのあいだ一緒になって階層を下っていったが、やがてひとつが停まり、ふたつが停まり、ラケルタのリフトだけが最後に残って強化ガラス管の中を滑り落ちていった。

 目的地は、最下層。そこにあるものは限られている。ラケルタがリフトを下車すると、上層へ戻る人々とすれちがった。みな黒い服を着ている。泣いている人もいれば、淡々としている人もいる。

 最下層にあるのは、葬送エリアと墓地、それに市民動物園の一部だけだ。といっても、今は〈竜〉と呼ばれた巨大生物がいないので、動物園の最下層は実質何もいなかった。

 いま喪服を着ているのは、葬送エリアから出てきたばかりの人たち。平服のラケルタがめざすのは墓地だ。ただし、スペースの狭いトリゴナル生活で、墓地というものを持てる人間はほとんどいない。人口の一パーセントの特権階級だけが、代々引き継ぐ家の墓所を所有している。そんなひとりが、今日の待ち合わせ相手だった。

「ラケルタ・ノヴァリ?」

 呼ばれて振り返ると、そこには顔見知り程度の少年がいた。

 長毛種の猫のようなうねった黒髪に、愛嬌があるけれどどことなく傲慢さがにじむまなざし。ごく小柄で、同年代の少年にしてはかなり小さいほう。でも主張が強い人物。同じアカデミアにいて、顔だけは知っていたが、関わることのないはずの相手だった。

「ええ。ジュピター・パンタグリュエル」

「まさか君だなんて思ってもみなかったよ。こんな近くにいたなんて。いつもあのコリンズワースとクロカワのかげにいて、何だって関係ないような顔をしている君がね」

「わたしはわたしの問題でしか当事者にはなれないわ、パンタグリュエル。わたしたちは近くに配置された星なの。だから必ずめぐりあう。あなたは気にくわないかもしれないけど、あなたがシファと会ったのもそういうことよ。それが星々の司る運命だから」

「でもあなたは、その運命に戦いを挑むんだ」

「愚かだとは思っているわ。愚かなまま、いくつもの命を生きてきた」

「死んでも治らないバカなんですね」

「あなたは死んだら治ったのね」

 言い返すと、子どもじみたところのある少年は、明らかにむっとした。ジュピターは、ザイウスとは全然ちがう。それが不思議と楽しかった。

 パンタグリュエル家の祖先は、エンジュのために命を捨てた。エンジュはそれがいやでたまらなかった。ザイウスのために何もできないのに、ザイウスは平気で命を投げだしたことが。

 それなのに、エンジュはアルキスの死後、ザイウスの妹であるセレステを頼った。セレステはエンジュを恨まず、願いを聞き入れてくれた。

 あれから、数えるのも億劫になるぐらいの年月が過ぎてしまった。

 ラケルタ。いくつめの命だろう。ほとんどの命を、彼に再び会えないまま過ごしてきた。ほとんどの場合、以前の自分のことを思いだしもしなかった。しかしラケルタは、早い段階で過去の記憶を取り戻すことができ、こうして戦いの準備が整いつつある。彼を取り戻すための戦い。昔も昔の、古い願いを実現させるための。

(神さま。今度こそ)

「では、お願いするわ、パンタグリュエル。そこまでのバカじゃなくても、同級生に預かったものを返すぐらいしてくれるでしょう?」

「それで、シファさんと戦うんですか?」

 言いながら、ジュピター・パンタグリュエルは歩きだした。墓地管理AIに声をかけると、古びた門扉がきしみつつ開く。

「ええ。シファは神さまがおいた障害だから。勝たなければ、わたしの願いは叶わない」

「それって、シファさんには何が得なんですかね?」

「得も何も、そういうふうにつくられた星の子だから。でもシファは、簡単にいかないことが好きよ。昔からずっと。だからわたしの願いとせめぎあうことが、つまり反目が、彼女にはおもしろいんだと思う」

「僕と恋したほうがよっぽどおもしろいんじゃないかと思うんですが」

「自分のこと好きな男と恋するなんて、それほど彼女が興味をもてないこともないと思うわ。だからシファはサイレとデートしたけど、結局サイレにも興味を失った」

「シファさんのことよくわかってますね」

「たったふたりの姉妹だもの」

「ここですよ」

 案内された先には、巨大な墓所があった。墓というよりは、アパルトマンといってもいいほどで、古代から続いてきた名家パンタグリュエルの歴史そのものだった。

「ザイウスもここに?」

「もちろん。妹のセレステも」

 万感の思いで、ありがとう、とささやいた。古い古い友人に。とはいえ、セレステが今、ラケルタを古い友人だとわかるかどうかは、わからない。同じ星とはいえ、エンジュとラケルタはまったくちがう容姿なのだから。

「ここにいてください」

 感慨にふけるラケルタをよそに、ジュピターはさっさと鍵をあけて内部に入った。

 しばらくして、少年は重そうに何かを引きずってきた。

「何これ、重……ムリですよこんなの」

「武器よ」

「知ってるよ! だけどこんなの、手も足も上がらないよ」

「だから強かったの。これを使えるということが、〈草の海〉では特別なことだった」

「こんなの使える人、守る必要ないでしょう、ご先祖さま……」

「本当にね」

 たしかに、それはひどく重かった。ラケルタは受けとって、二千年ぶりの重さを肌で感じた。トリゴナルKの文化的な生活では、このためにからだを鍛錬することもできず、通常のフィットネスとしてトレーニングを重ねるぐらいしか、ラケルタにはできなかった。

 でも、からだが覚えている。このティンダルの武具アルバ・サイフを。からだが覚えていれば、徐々にそのためにからだができてくる。ラケルタの十代のからだは若い。それでももう少し時間があればと思うけれど、過去のために今うごくことには勇気が必要だった。

 ラケルタは右足をバングルに通し、鋼の糸を点検する。それから、刃ひとつひとつを。

「でもこの武器、すごくないですか? 墓に入れたときから一度も手入れしてないはず。二千年前からこれだけきれいなままだとしたら、今のトリゴナルなんかよりずっと文明が進んでるということですよね」

「これは秘密だけど、教えてあげる。このアルバ・サイフは今よりもずっと高度な文明が存在していたときにつくられたもの」

「何それ、矛盾じゃ……」

「文明は進むばかりではいられないわ。進むときがあれば停滞することも、後退することも、無に帰ることもある。アルバ・サイフがつくられたのは、高度文明が存在していた最後のころだった。兵器としてではなく、一種のスポーツとしてつくられたのが最初。兵器ならいくらでも効率的なものがあるのに、これは効率的とは言いがたいでしょう? 美学に基づいてつくられているの。

 それは、文明が進むところまで進み、人々が効率以外の価値を求めたころのことよ。人々はその価値を宗教に求めた。それはいいんだけど、内面の問題と個人の実践だけではなくて、迷信にすがる者もいた。たとえば——この星バトロイアを覆う〈毒の海〉の拡大を防ぐには、生け贄が必要だというような。……そう、高度な文明世界から、原始的な世界へ逆戻り。でも、生け贄なんて神は求めていなかったから、どっちにしろ世界は〈毒の海〉にのまれて滅亡した」

「正直、先祖はすごいなとしか思えないですね」

 先ほどとはうってかわって、ジュピターの勝ち気がなりをひそめたので、ラケルタは笑った。

「ザイウスは、そんなのずっと見てきた女に惚れたっていうんですか? セレステだって、それで武器を預かって二千年後まで保管するとか、尋常じゃないです」

「シファを好きになったあなたに言われたくない。シファは私と同じ存在だもの」

「!」

 ジュピターは頬を紅潮させる。

「外見は人間の女だけど、わたしたちは人間じゃない。ザイウスもあなたも、人間じゃないものに心を奪われたというわけ。あなたもなかなかのバカじゃない?」

「……最初は反抗心でした。なにせ、生まれたときから、家が二千年も前から続いていることや、それは二千年も前の先祖の恋心のためだって教えられてきたんですからね。名家パンタグリュエル家はエンジュとの約束のためだけにあるって、おおまじめに教育されるんですから。墓所にあるエンジュの武器を、生まれ変わってくるエンジュに渡すのだけが、パンタグリュエルの役割だって。バカじゃないかっていうんですよ。

 トリゴナルBでシファさんがメモリアをいくつも発見してニュースに出たとき、すぐわかりましたよ。彼女がエンジュの〈敵〉だって。彼女と戦うためにエンジュがきっと現れるって。反抗心から、シファさんにコンタクトをとったんです。……今は本気ですけど」

「わたしはあなたのご両親じゃないから、べつに止めない。でも、ザイウスがわたしのために身を投げたとき、わたしはザイウスのために何もできないから、生きて、ちがう方法で幸せになってほしかった。だから少しうれしい。でも、その相手がシファとはね。ちょっと複雑な気持ち」

「協力しますよ、ラケルタさん」

 ジュピター・パンタグリュエル少年は強い意志のまなざしで言った。ザイウスというより、妹のセレステを彷彿とさせる。もちろん、彼はザイウスの子孫ではなく、セレステの子孫だが。

「協力?」

「シファさんと戦うの、力貸します」

 でもそれは、先祖みたいにあなたに好意をもっているからではない、と少年は告げた。

「いわば、ギブ・アンド・テイク。自分の目的のために、ラケルタさんに力を貸すんです」

 ラケルタは笑う。

「わたしはあなたに好意をもつわ」

「僕のために、なんにもしてくれないくせに」

 そんな場合ではないのに、ふふ、と笑みがこぼれてしまう。ザイウスとも、そんなふうな間柄になりたかった。けれど、何も言わずに黙って死んでいく、それがザイウスという人で、そんなザイウスだからこそ生きてほしかった。

(もう、二千年も前のこと)

 それなのに、いまだに切ない。まったく平坦ではない感情が、今も波立つ。

 ——あのころわたしたちは、今よりずっとおしゃべりだった。

 もっともっと古い思い出が、ちっとも色あせないように。

​To be continued.

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