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​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<2>

〈——今日もあたしのために朝日はのぼるの!〉

 軽やかな歌声とともに、スカートをひるがえして舞台の中央に駆け出たのは、主役の少女——ならぬ少年だった。

 歓声と拍手が〈オペラ〉大ホールにわき起こる。全トリゴナルで、この少年の顔を知らない者はない。このところ、人類の未来という意味でも、ゴシップ的関心の意味でも、少年サイレ・コリンズワースは全トリゴナルを席巻していた。

 それは、強化ガラスの狭い箱に押しこめられた人類が見いだした希望でも、着実に迫りくる滅びからの逃避でもあり、人々はその象徴としてサイレという少年に熱狂していた。

〈あたしが西といったら西、南といったら南〉

 少年の登場につい立ちあがった人々は、歌に耳を傾けるべく静かに腰を下ろす。

〈みておいで、あたしの指さすほうを〉

 コケティッシュな表情で客席を指さすと、ボーイソプラノファンの女性客や、少年を少女のようにみている男性客が、声にならない悲鳴をあげる。一方、一般客はコメディタッチの演出にくすくす笑った。

 会場はある種の明るさで満たされていた。

 トリゴナルK市長公認オペレッタクラブ〈カンパニエ〉AT五六年度定期公演の幕は、いよいよ上がったのである。

 三夜にわたる公演のチケットはすべて完売し、オークションに転売されたチケットの価格は高騰した。なにしろ、全トリゴナルの関心が集中しているにもかかわらず、公演は三回のみ。当然、追加公演も検討されたが、そもそも出演者はアマチュアであり、学生でもあるため、けっきょく従来どおりの公演数となった。〈オペラ〉は、立ち見席の当日券を獲得するために集まった人々でごった返した。

 高く笑いながら、サイレは舞台袖に引っこんでいく。最初の出番は終了。衣装係の団員が少年に殺到し、よってたかって服を脱がす。笑いをこらえて近づいてきたのは友人のアイバン、ヒロインの友人A役だ。

「とんでもない光景だな」

「アイバン。つぎ出番」

「はいよっと。出まーす」

 オペレッタであってバレエではないのだが、こころなしかステップを踏みつつ友人は出ていった。

「サイレ、ドリンク」

「ありがと」

 今日もラケルタは裏方に徹しており、ドリンク入りのボトルを口の前にさしだした。着替えにメイクに大忙しのサイレは、ラケルタの手にあるドリンクのストローに食らいつく。舞台の上はライトに照らされて熱く、緊張もあって普段より汗もかき喉も渇く。喉の渇きは歌にとっては大敵。

「イヴは?」

「準備万端よ。イヴだって、サイレと一緒にずっと練習してきたんだもの」

 ラケルタはいつもと同じように眼の色の見えないぶ厚いビン底眼鏡をして、髪をきっちりとお下げに結わえている。いつかのカフェ〈ラ・メール〉でのことや、テーマパーク〈ワールド・アトラティカ〉でのことがあっても、ラケルタの態度はまったく変わらない。それはサイレも同じだ。

 が、サイレはふと、ビン底眼鏡の上からこっそり彼女の瞳をのぞきこんでみた。彼女はすぐに気づいて、視線をあげた。はっきりと目が合った。

「ずっと一緒に練習してきたのはラケルもでしょ。おれが練習さぼってたときはおれの代わりにハンディピアノで入ってたし、イヴの個人練にもさんざんつきあったって。ありがとう」

「いろいろな役をハンディピアノでやらせてもらえて、楽しかった」

「いっそラケルが出ればいいのに」

 言うと、ラケルタはさっとボトルをサイレから引き離した。

「飲みすぎはだめ」

「了解」

〈——いや! いや! いや!〉

 ヒステリックというよりは、かわいらしい身ぶりで首を振りながら、ヒロイン・ユスティナに扮したイヴが舞台の中心に立っている。もともと緊張には無縁のイヴだが、ラケルタがしっかり練習させたおかげか、いつもより歌いこんだ声での登場だ。

〈汚い! くさい! うるさい! どうして男ってこうなの?〉

 ユスティナを手招く友人たち——そのひとりがアイバンだ——から顔をそむけ、彼女は歌う。小鳥の歌声で嫌悪をあらわにするユスティナの衣装は、彼女のきらう友人たちと同じ男もの。ユスティナはオーレンダとは逆に、男装の少女だ。

〈ユスティン、行こう。村娘が待っているよ。君に声をかけられるのを待っているよ〉

〈お誘いありがとう。でも間に合っています〉

 イヴは可能な限り低い声で答える。客席から笑いが起こる。

〈間に合っている?〉

〈そうです、間に合っています〉

〈それってどういうこと?〉

 かわいい少年ユスティンをかまいたい男どもが、取り囲んで口々に尋ねる。男に嫌悪感をもっているユスティナは、とにかく彼らがうっとうしい。追い払いたい。そのために、ついつい口走ってしまう。

〈僕には心に決めたひとが——〉

〈誰だ!〉

〈愛しい友ユスティンよ、それはいったい誰だ!〉

 アイバンをはじめとするユスティナの友人A・B・C・Dは、口々に村娘の名前をあげていく。マリーア? マルガリータ? ジョゼファ? ……まさかあの高嶺の花、村一番の美少女オーレンダでは?

〈オーレンダ! 僕の愛! 僕の苦しみ! 友よ頼む、僕のことは放っておいてくれ。僕の愛と苦しみは、僕だけのもの!〉

〈いいや、友よ! 恋は人生の花、勇気なくして人生の花は咲かぬ〉

〈かわいいユスティン、俺たちは必ずやかの花をおまえに手折らせてみせよう〉

〈こうなると思った!〉

 そっぽをむいて、歌うユスティナ。こうして、諸事情で男装している少女ユスティナは、オーレンダに思いを寄せているという嘘をついた。

 このあと、オーレンダとユスティナは出会い、けんかし、誤解し、すれちがい、すったもんだ紆余曲折の末、実はおたがいの性別が逆であること、おたがいが心を寄せあっていることに気づき、おたがいの家庭の問題も解決して大団円——というのがおおまかな筋。誰も死なない楽しいオペレッタだ。

〈ユスティナ! 僕の花——〉

〈オーレンド! 私の夢——〉

 最後はおたがいの性別を明かし、少年オーレンドは男ものの結婚衣装、少女ユスティナは女もののウェディングドレスを着て、結婚式を挙げる。

〈愛は人生——〉

 了解わかった、としかいいようがないコーラスとともに、オーケストラは最高潮に達し、みつめあう花嫁と花婿は緞帳のうしろに消えていく。オペレッタはこれで終了。

 ブラボーの声が響く。それに続いて、ややミーハーな女性の声や、野太い男の声が次々にあがり、拍手喝采となった。

 オペレッタを全幕歌いきることは、休憩をはさんでも消耗する。幕の背後でサイレとイヴは息を切らしていたが、まだやるべきことが残っていた。息を整え、イヴと視線を交わすと、合図を出す。歌手たちは舞台袖に引きあげ、ふたりだけが残った。

 緞帳が上がり、ふたたび現れた主役たちに、舞台の余韻冷めやらぬ客たちがいっそう手を叩く。サイレとイヴは手をつないで、聴衆に敬意を表した。しばらくのあいだ、客の拍手にこたえ、客が静まるのを待って口をひらいた。

「本日は〈カンパニエ〉定期公演にお越しいただき、ありがとうございました。僕は今回のタイトルロールを演じたサイレ・コリンズワースといいます——情報通のみなさまには、聞き覚えのある名前かと思いますが」

 客は拍手と歓声でこたえ、すぐにおさまった。

「本来なら、僕らはアマチュアなりに、純粋に音楽だけをみなさまにお届けしたいと思っています。ですがご存じのとおり、僕がいま個人的に関係しているある実験に僕の歌がかかわっていて、アカデミアの研究者である叔父のオルドネア・モリソンによれば、それはトリゴナル全体の命運にかかわってくると。

 今、よいお知らせをみなさまにお届けします。今日までに叔父は研究を進め、その第一段階をみなさまにお見せできる状態に到達しました」

 会場がどよめく。

「聞いていないぞ!」

 客のひとり——おそらくはマスコミ関係者なのだろう——が、立ちあがる。

「サプライズですから。といっても、僕も実験の経過は知らされていません。うまくいったら、あなたも僕と一緒に驚いてくれますか?」

 ざわめきがわき起こる。記者らしき女性が挙手した。

「記録は可能ですか?」

「どうぞご自由に」

 となりで、珍しく不安げな顔をしたイヴがみつめてくる。

「イヴは戻っていいよ」

「サイレのそばにいる」

「そう」

 イヴは、舞台が終わった直後に主役の歌手たちがみなするようにサイレと手をつないでいたが、力強く手を握ってきた。まるで、サイレをどこにも行かせないというように。

 たしかに、行けるものなら行きたい。あの場所——エンジュが生きていた世界へ。エンジュの星がまだ天空に浮かんでいた時代へ。

 だが、サイレは疑問に思う。

(本当にエンジュは『死んだ』のか?)

 最後にメモリアをひらいたとき、エンジュは自分が人間ではないと言っていた。それを見るサイレや、人間のライフヒストリーとしてメモリアを観察する立場であるラボの面々は、エンジュとマリオンが何を言っているか理解できなかった。あの日サイレが見たものの多くは一般には伏せられることになった。科学的に裏づけをとることができないからだ。

 代わりに発表されたのは、エンジュを王妃にしたアルキス一世が妹マリオンによって殺されたという新発見だった。メモリアの光景は、妹といっても側室同然の意味で仕えていたことを明らかにしており、古代の兄妹には現代でいう近親相姦の禁忌など存在しなかったことを示していた。

 ——そうじゃなきゃ、つまらないわ。——『お兄さま』。

(そんなわけ……)

 だが、もしも、と思う。

 もしもマリオンが、シファとして新しい生をいきているのだとしたら——エンジュもともに生まれ変わっているのではないか。なぜなら、ふたりは同じ存在なのだから。でも、そうだとしたら、墜ちて解析され、エンジュの人生をのせた星〈メモリア〉は、いったい誰のもの?

 

 ——会えるのなら。会いたいよ。

 

 サイレは、すう、と息を吸いこんだ。

 メロディに息をのせて、遠くへ投げる。

 

〈神々の御世、星々の下なる丘にて……〉

 

 このエンジュの歌を、この場にいるほとんどの人が知っている。だが、旋律と歌詞は公表していない。しかも歌詞は古語で、慣れない人間はバラバラの単語でしか理解することができない。聴衆は、サイレがアカペラでうたいはじめた不思議な歌に、かすかにざわめいた。その歌がここでうたわれることの意味に気づくと、人々はあたりを見まわした。

〈オペラ〉に通い慣れたクラシックファンなら、会場に入るときに後方座席の中央を占める巨大な機器に気づいただろう。あるいは、気づいたとしても、市広報が設置した撮影機器だと思ったかもしれない。

 だが、機器を操るのは、オペレッタの公演には明らかに不似合いな白衣の面々だ。

 

〈星呼ばいしは 贄なる幼子なり〉

 

 サイレは、その中の叔父に目を凝らす。

 ——おまえの公演初日にあてよう。

 と、叔父がサイレに言ったのは、公演前一週間を切ったころだった。

 ——おまえの歌の秘密に最初から気がついていれば、エンジュの居場所を探す必要もなかったよ。

 ——じゃあ、準備ができたの? 古代の土地を今に移して、〈毒の海〉を消す……。

 ——まあ、待て。まずは小さな範囲からだ。転移装置のエネルギーだってタダじゃない。研究には金がいる。金を集めるためには、パフォーマンスが必要だ。つまり、おまえの協力が不可欠。

 ——わかってる。なんでもする。

 ——その態度どんどん出して金持ちの憐れみを誘えよ。わかってるだろうが、連中は悲恋が好きだ。

 ——おれはきらいだよ。

 最初から相手が死んでいる恋なんて、するものじゃない。

 星〈メモリア〉はただの人生の記録。その人を支配し、その人を見守りつづける星が見た、その人の姿。過去の幻に心を捧げるだなんて、これほど不毛なことはない。不毛だとわかっているなら、やめればいいだけなのに、いったん奪われた心は取り返せない。

 

(返して。エンジュ。おれの心を返して)

 

 せめて、声だけでも聞かせて。姿を見せて。

 

〈清き眼と唇と髪とをもって

 星神の恩恵の代償として献げられしが〉

 

(受けとめられなかった心は、どこに行くのだろう?)

 

 いま、行き場のないサイレの心は、歌声にのせられていた。

 オペレッタ〈オーレンダ〉は演奏時間一時間程度、どちらかといえば小品といえる演目だ。しかし、休憩をはさみながらとはいえ、演奏時間の八割はタイトルロールの出番がある。サイレの声も、からだのどこか一か所を脱力したら、一気に刈れてしまいそうだった。体力がもはや限界だからこそ、少しも気を抜くことができない。サイレは慎重に詩をつむいでいく。ひと縫いひと縫い、何ひとつおろそかにしないように。

 気を抜いたら、歌にならなくなったら、会えないかもしれない。歌いきったとしても、会えないかもしれない。

 ——〇・〇〇〇〇〇〇〇〇五パーセントの可能性、か。

(『可能性はゼロじゃない。試す価値はある』。叔父さんはそう言ったね)

 今はその気持ちがわかる。〇・〇〇〇〇〇〇〇〇五パーセントの可能性があるかどうかすら、わからない。

(何パーセントの確率でエンジュに会えるのか、訊いておけばよかったな)

 可能性。それは、祈りにも似ていた。

 ——おれの歌声が、エンジュに届きますように。

 

〈語りあいて 飽くことをしらず

 語りあいて 淀むことをしらず——〉

​To be continued.

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