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​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<3>

 サイレは急に、その場所に放りだされた。

 星々が満ちる空間。

 見知らぬ場所ではなかった。何度もエンジュの視点で訪れた場所。あるいは——の目線で。そのとき、つないだ手の先には——。

 サイレは自分の手がのびた先をみた。今、そこにいたはずの人はおらず、おもちゃのような星々が宙に浮かぶ水——〈毒の海〉の中はこういうところなのかもしれない——があるだけだった。

 水面に上がれば、そこには「本物」の星々が空に輝いているのだろう。しかしサイレは、上にも下にも行けない自分を感じた。

(サイレのそばにいる)

 ——イヴ。

 サイレははっとしてあたりを見まわす。そうだ。イヴがいるはず。

 エンジュとマリオン、エンジュとアルキスは手をつないだまま、ふたりでこの場所に落ちた。それなのに、サイレのとなりにいたはずの友人は、かげもかたちもなかった。

 イヴは当事者ではないから、とでもいうのか? 〈星々の庭〉にとって、招かれざる客だとでも? この場所のルールを決めているのは誰だ? 〈星神〉? 古代では人々の信仰を集め、現代に至るまで科学の興隆とともに忘れ去られた神。

(神なんかどうでもいい。ルールなんか。理屈なんかどうでもいい。おれには、やることがある。今おれは〈オペラ〉の舞台上にイヴと立っていて、〈星々の庭の歌〉をうたっている。イヴがいないなら、ここは現実じゃない。夢に用はない)

 叔父の指示はひとつ。

 ——「座標を探せ」。

 エンジュがいた場所——いや、今、現実にエンジュがいる場所を探しあてること。そうすれば、あとは空間と空間をつなげて、空間を運ぶだけ。原理は簡単。高速エレベータと同じ発想。問題は、今の今まで誰にも座標を探しあてられなかったということ。

 サイレだけが、その座標がわかる。この〈星々の庭〉は、いわば、両方の座標がみる夢。〈星々の庭〉の鍵をひらくための〈星々の庭の歌〉。それを歌えるということ。それは、エンジュのための歌。

 サイレの歌は、エンジュの歌だ。

(おれの歌は、きみの歌なんだ)

 ずっと、知らなかった。遠い昔、与えられたものに。

 

(……わたしは、あなたの言葉から生まれたの)

 

 サイレはそれを、エンジュのかたわらから見ていた。エンジュのこのうえなくうつくしい涙が、温度をなくした頬に滴るのを。

 エンジュの涙こそ、自分の王冠の石だと言ったのは、懐かしい遠い友人。友人もまた、やさしく、悲しかった。その悲しさを、死からすくいだすことが、自分にはできなかった。

 エンジュの涙を、喜ぶことはできなかった。なぜ手をのばせないのか。エンジュのかたわらで見ているだけなのか。一緒に生きることが、彼女が涙を忘れるような日々が、自分たちには許されたはずだった。

 

 ——「座標を探せ」。

 叔父の狂気が、ふたたびサイレを正気に引き戻す。

(だめだ。感情に引っぱられるな)

 今、すべきことをする。感情を捨て、行動に移さなければ、永遠に夢をさまようだけだ。

 座標は、歌のなかにある。言い換えれば、サイレとエンジュは歌でつながっている。それは、周波数といってもいいのかもしれない。

 歌声の響きのなかに、サイレがいて、庭があり、エンジュがいる。

 

 ——エンジュ! ……

 

 歌で、つながる。

 

 

「サイレ……!」

 歓喜の波の衝撃に、サイレは現実に戻った。

 サイレは〈オペラ〉大ホールの中心にいた。のばした手の先には、友人の少女イヴの手がある。しかしイヴの顔に浮かんでいるのは、決して喜びなどではなく、サイレは怪訝に思った。

 目の前は奇妙に明るかった。通常、公演中のホールは暗く、舞台上だけがスポットライトに照らされていて、歌手は客席の一人ひとりを判別することは不可能だ。しかし今、客席の中央、人々の頭上に、不思議な明るい光がある。スポットライトほど強くはない、どこか包みこむようなやわらかい光が、叔父たちラボメンバーが忙しそうに立ち働く場所を中心に存在していた。

 何ごとが起こったかと目を凝らせば、人々はそこにみいだすだろう——光のなかを横切る影を。

「——エンジュ……!」

 そして、今や全トリゴナルが知る古代の少女の姿に、ボーイソプラノの少年のラブストーリーの結末に、客席じゅうが歓喜した。

 サイレは自分のおかれた状況も忘れ、飛びだそうとした。

 そこにいたのは、彼女だった。最後に樹上城で彼女が来ていた王妃の装束を身にまとって、広い草原をひとり歩いていた。長い裾をひきずって——けれどひきずっていたのは裾だけではない。あの恐ろしい武具、アルバ・サイフを、長々と草の上にたらしたまま、彼女はどこかを一心にみつめながら歩きつづけていた。

 だが、そこにあるのは悲壮さだけではなかった。

 何らかの意志が、明らかに彼女を支配し、突き動かしていた。

「エンジュ! おれだよ——」

 サイレだよ、といおうとして、口をつぐむ。彼女はサイレを知らない。知らないまま、遠い昔に死んだ。

(だけど——!)

「ダメっ!」

 一歩前に踏みだしたサイレを、イヴは強い力で引っぱった。「それ以上は……行っちゃダメ!」

「放せ!」

 反射的にサイレはどなった。どんな女性にも、こんな乱暴な言動をしたことはなかった。しかし、イヴを力づくで振り払うことまでは、サイレにはできなかった。

 スポットライトに照らされた友人の顔は、涙にゆがんでいた。サイレの腕を力いっぱい抱きしめて、イヴは叫んだ。

「あの子は、ここにはいない……!」

 今日の主役のかたわれである少女のひと言に、客席から驚きの声があがった。そう彼女が言い放ったとたんに、客席上の光が、ますます淡くなっていく。

 強い意志のまなざしをした、恋しい少女も。

「いやだ、エンジュっ」

「ダメだったらー!」

「サイレこのバカ、落ちるぞ!」

 舞台上に駆けこんできたのは、団長ギルヴィエラだった。ギルヴィエラは容赦なくサイレを殴り飛ばした。サイレは舞台に倒れた。

「ギルヴィそれ痛い!」

「バカは痛い目みないとわからない!」

 むろん、舞台の端は絶壁、下はオーケストラ・ピットだ。しかもかなり高さがあり、落ちれば無事ではすまない。

「団長……覚えてろ」

「サイレぇー!」

「かしこまりましたー」

 ギルヴィエラは用事は終わったとばかり、さっさと舞台袖に引っこんだ。イヴはサイレの首にすがって泣きはじめる。泣きたいのはこっちだ。

 イヴの背後には、すっかり暗くなってしまった客席がある。

(こっちを見てくれなかった。こたえてくれなかった。何も)

 客席は、失敗とも成功ともつかぬショーの幕切れに、とまどいがちな拍手をした。

​To be continued.

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