top of page
​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<4>

「何かが足りない」

 着替えが終わって控え室を出たサイレに、叔父が近づいてきた。「考えかたはまちがっていないはずなんだ。なにか最後のピースが……」

「うん、でも」

 サイレはクエン酸入りドリンクを吸いこみながら、足早に歩く。「星〈メモリア〉じゃない、『映像』じゃないエンジュを見られた。ありがとう、叔父さん」

「礼はまだ早い。公演はまだ終わってないからな」

「別に公演に合わせる必要ないでしょ」

 喉が渇きすぎて、ドリンクが止まらない。音をたてて飲み終わると、うしろから走ってきたラケルタが、次のドリンクをさしだした。ありがと、と言うと、

「サイレ。あと二日あるから……一日で燃え尽きないで」

 声をかけて、お下げ髪の友人はいなくなった。けなげだねえ、と戯れ言めく叔父を無視して、サイレはそのままのスピードで〈オペラ〉階段ホールへと降りていく。

「合わせる必要はあるぞ」

 叔父が問いに答えるのと、カメラのフラッシュが焚かれるのとが、ほぼ同時だった。

「モリソン教授! 先ほどの公開実験の結果を、どう位置づけますか?」

「〈毒の海〉と古代の〈草の海〉を入れ替えるまで、どれぐらい時間がかかりそうですか?」

「サイレ君! とうとうエンジュさんに会えたわけですが、今のお気持ちは」

「今日の公開実験はあくまで第一段階だと考えています。古代の少女の姿を、あなたがたも見たはずだ。いくつかの段階を経て、あなたがたは彼女をこちらの世界で見ることになる。わが甥が幸せになるのをね。もっとも、彼女が甥を好きになってくれればだけど。まぁ、甥は愛される子ですから。

 ひとまず公演はあと二回。公開実験もあと二回行います。乞うご期待ですよ。なお、実験を続けるには先立つものが必要です」

 叔父はカメラマンたちをかき分け、階段を突き進みながら、はきはきと回答した。

「サイレ君はどう? 今の気持ちは?」

 サイレは叔父のかげで黙々とドリンクを飲んでいたが、水をむけられ、

「エンジュがこちらをむいてくれなければ、会えたなんて思わないです」

 もう一度、フラッシュが激しく点滅する。そのとき、階段を下からのぼってくる一団があった。その中心にいる老人が、オーバーアクションで手を振っている。

「モリソンくーんっ。サイレっくーん」

 叔父は中年とは思えないスピードで階段を駆け下り、足下にひざまずきかねない勢いで頭を下げた。

「市長。ご足労を」

「足労なんかじゃないよ。かわいいイヴちゃんのクラブと、あなたの有意義な研究成果を見られるんだから」

「恐縮です」

 タカアキ・クロカワ。あのイヴの義父、このトリゴナルKの筆頭設計者で現・市長だ。

「今日のところは成功といってもいいね。でもまだやれるでしょ? もっと『効果的』に」

「もちろんです、市長。ご期待ください」

 叔父は神妙に意気ごんでみせる。こんな叔父は生まれて初めて見た。さすがにアカデミアの主要パトロンなだけはある。

「サイレくん。会うのははじめてだね。いつもイヴちゃんから話は聞いてるよ。すばらしい歌声だった」

 オペレッタのことなのか、もうひとつの出し物のほうなのかは、市長は何も言わなかった。サイレは黙って頭を下げると、もはや報道陣にも何もこたえず、足早に階段を下りていった。

 そのとき、入口の扉がひらき、外の光が階段ホールにさしこんだ。

 光のかたまりを割って、華奢な黒い影がひとつ——

「マ——」

 どくり、と心臓が大きく動く。

 どく、どく、どく、と、まるで耳のそばに心臓があるかのよう。からだじゅうの汗腺がひらいたかのよう。

(あの日、——に、おれは)

「サイレ君」

 気弱そうに呼びかけてきたのは、彼女の一人だった。サイレはあいさつの代わりに手をあげる。先に行ってるか? という叔父に、いやいいよ、と答え、足もとめずに彼女の横を通りすぎる。

 すれちがいざま、

「……サイレ君、最近変。変だよ」

 彼女は声を振り絞った。

 サイレは通りすぎて、それから振り返った。

「恋をしたから」

 じゃあね、とだけ言った。

​To be continued.

© 2022 by Kakura Kai / このサイトはWix.com で作成されました

  • Twitterの - ブラックサークル
  • Instagramの - ブラックサークル
bottom of page