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​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<6>

 市長公認オペレッタクラブ〈カンパニエ〉団長ギルヴィエラ・ハンは天井をあおいだ。

 三日間の定期公演の初日が終わり、今日は休憩日だった。公演二日めは明日。ひとり暮らしのアパルトマンでのんびりしていたギルヴィエラは、突然外に市長の公用車をつけられ、「イヴお嬢さまがお呼びです」といわれて有無をいわさず運ばれてきたのである。

 クロカワ市長の公邸は最上階層にあって、まだ〈毒の海〉の下に沈んでいない外壁に面していた。わけても義父である市長に溺愛されて育ったイヴの部屋は、強化ガラスにじかに接した屋根裏風の形状で、下に海、上に空が望める、トリゴナルK随一のとんでもない場所だった。

「監視カメラはもちろん警察がチェックしたけど、誰もカメラに映っていなかったんだって。ただ、強化ガラスの壁がぼこぼこになっていく様子だけが映像に残されたってわけ」

「怖いな、それは」

「まあ、それはわたしがやりました」

「んなッ?」

 さすがのギルヴィエラも、出されたコーヒーをカップにそのまま吐きだした。

「映像が残るとちょっと困るの。あ、この部屋、監視カメラの管理区域から外してるから、なに言っても大丈夫だよ」

「ツッコミどころが多すぎて、どこから何を言ったらいいのかわからないんだが」

「んーん、古い言葉で『蛇の道は蛇』ってね。セキュリティシステムのことはセキュリティシステム?」

「皆目わからん」

「いいのいいの。こんなことどうでも。もうラボのカメラデータは加工しちゃったんだし。わたしの部屋も前から外してあるし。やっぱりね、AIの弱点っていうのは、プログラムに問題なければエラーは起こらないってことだよね。蛇の道さえ知ってたら簡単簡単」

「私はおまえが怖い」

「大事なことはね、ギルヴィ。お願いがあるの」

「すごく聞きたくないな」

「あのねギルヴィ」

 イヴはいつものように、まったく相手の反応など意に介さない。「〈カンパニエ〉の公演なんだけど。わたしが、もっともっとおもしろくしてあげる」

「怖い!」

「ねえギルヴィ。サイレが恋して、たしかに歌はずっとよくなった。だけどサイレにとってヒロイン役のわたしは妹みたいなものでしょ。歌声に切なさが出たとはいえ、演技に身が入ってないでしょ。このままじゃマ×××……」

「やめろ」

 ギルヴィエラは下品な言葉を途中で遮った。

「私たちはアマチュア団体だ。クオリティには限界がある、それは仕方ない」

「そう、わたしたちはアマチュア。だけど今回は、まだやれることはあるんだよ。というか、やるから。当日になって驚かないでほしいのね」

「んあー!」

 団員から恐れられている団長ギルヴィエラ・ハンは頭を抱える。だいたいのベテラン団員はそうだが、イヴともわりと長いつきあいだ。だからよくわかっている。このイヴがやると決めたことは、どんなイカれたことでも必ず実行するということを。

「なにする気だ」

「最終日ね。わたしは何者かに誘拐されます」

「……んーあー!」

 ギルヴィエラはふたたび天井を振り仰いだ。

 この〈毒の海〉に浸かったバトロイアに、天文学の授業で習ったとおり〈星神〉というものが存在しているのなら、この恐ろしい小娘から助けてほしい。ギルヴィエラは心からそう思った。

 

 

 二日めの公演は、とくに何ごともなく終わった。

 オルドネア・モリソン教授が緊急入院したこと、メモリア適合実験の機器がみな破壊されたこと、しかも犯人の姿が監視カメラに映っていなかったことは、すでに全トリゴナルの知るところとなり、二日め以降の公開実験の行方が案じられていた。

 結局、これといった進展もなかったが、初日と比べて結果が後退したということもなく、サイレ・コリンズワースの歌は草原を歩く少女の姿をふたたび現出させた。

 二日めの公演に同席した大半が初日とちがう聴衆であり、客はニュースで流れた過去の風景を現実に見られたことに感激し、満足して帰っていった。

 ラボの助手たちは二日後の最終日をむかえるにあたり、過去二回と異なる結果を出す必要があるのではないかというプレッシャーに襲われた。

 そんなラボメンバーを叱咤したのは、モリソン教授の腹心の助手で、教授が方針を転換して〈毒の海〉の消去を中心課題に据えたあとも、ひとり歴史天文学者として黙々と少女エンジュの星〈メモリア〉を解析しつづけたカタレナ・ワイトだった。

「〈毒の海〉から人類を救うことは、たしかに重要な仕事です。しかし、そもそもこんな短期間でそのような重大な仕事の結果を出すのは無茶というものです。失われた歴史に光をあてることが、わたくしたち歴史天文学者の本来の仕事ではないですか。

 人類を救う道筋を見いだしたモリソン教授がアイディアを伝えることなく倒れた今、わたくしたちが今公演ですべきことは、この仕事を知ってもらうよすがとして、二日間してきたことを三日めにも実行することでしょう。みなさん、今はあわてず騒がず、時間が来たらわたくしたちの仕事をしましょう」

 当日の朝、サイレは自宅でカタレナからコールを受けたが、内心それどころではなかった。

 サイレのなかには、襲撃されたラボを目の当たりにして以来、さまざまなものが往来している。ひとつは彼女が現実に生きているのではないかという希望。もうひとつは、その後の調査でエンジュの星〈メモリア〉が持ち去られたことが判明し、二度とエンジュの姿を見ることができないのではないかという絶望。もうひとつは、くも膜下出血と診断された叔父が復帰しなければ、古代と現代の空間をつなげてエンジュと会うことは叶わぬ望みになるのでは、という恐れ。もちろんサイレは叔父を心配する甥っ子でもある。

 だがサイレは、歌わなくては、と思う。歌わなければ、決して彼女には届かない。叔父の回復がいつになるかわからない今、残ったのは〈オペラ〉大ホール客席の転移装置と、叔父の指示どおり操作できるラボ員、その鍵になるサイレの歌だけだ。

 自宅を出た直後、サイレの端末がまた鳴った。

〈あー。サイレ。おはよう。ごきげんいかがかな〉

「団長? おはようございます?」

 攻撃的ではないギルヴィエラのコールなど珍しく、サイレは気が抜ける。

〈驚かずに聞いてほしいんだが〉

「なんですか? イヴが誘拐されてユスティナ役交替?」

〈……〉

 半笑いで応じると、沈黙が返ってきた。これはギルヴィエラにしては前代未聞の重傷だ。もしかして、ギルヴィエラなりに最終日でナイーブになっているのか?

「大丈夫ですよ、団長。舞台上に立つのはギルヴィエラじゃなくておれたちですし。そんな緊張しなくても。おれはまじめにとは言いがたいかもですが、一応練習はしてましたよ。二回できたんだから、三回めもできます。だから安心して」

〈……キモっ〉

 まじめにフォローしたのにひどい。コリンズワース邸の外には数多くのマスコミ関係者と野次馬、それに公演中なにごともなくホールに着けるようラケルタが手配してくれたタクシーがいた。野次馬の女性たちがあげた黄色い悲鳴に会釈し、タクシーに乗りこむ。悲鳴と同時に、ギルヴィエラがぼそっとなにか言った。

「あ、すいません。よく聞こえなかった。ちょっと騒がしくて」

〈——……って言ったんだ〉

「ええ?」

〈——イヴが誘拐されて、今日のユスティナは代役だって言ったんだ!〉

 妙にしぶしぶと、事態のわりにはふてぶてしく攻撃的に、ギルヴィエラ・ハンは告げた。

 

「今朝、市長が起きたらもうイヴの姿はなかったらしい」

「はあ」

「そんで、愛娘の命が惜しければ、市警察には連絡せずに指定の場所まで金を持ってこいと。なんかそんな感じらしい」

 いつも練習に使っている小ホールで、ギルヴィエラは変な棒読みで語った。団員はみな、ギルヴィエラが息継ぎをするたび、やるかたなく首を縦に振っていた。

「なんか古くさくないですか? そもそも金って? ずいぶんまえに生の通貨とか紙幣は使ってないんだし、市長は自分の端末渡すしかなくないですか?」

「なんかそんな感じなんだから仕方ないだろ。いま市長はアンティークコインかき集めてるところだとよ。犯人は歴史マニアなんだろ……そんでだ。イヴのことは市長にまかせよう。私たちにできることはない。オーレンダをやるしかないんだ。もうじき開場。開演時間は容赦なくやってくる。てなわけでユスティナの代役は、ラケルタ! 準備にかかれ」

 もう面倒だといわんばかりに、ギルヴィエラは投げた。目を剥いたのは、当然、最大の当事者であるラケルタだ。団員はお気の毒にというまなざしで、裏方の少女を見ていた。

「ギルヴィ……! そんな無茶いわないで。イヴはどこにいるの? 誘拐なんてうそなんでしょう? いつものイヴのおかしな冗談なんでしょう?」

「んー。あー。イヴは今ごろ泣いてるだろうな。怖い思いしてるんだろうなー。カワイソウだなー」

 ギルヴィエラの目が完全に死んでいる。ラケルタは団長にすがって揺さぶったが、ギルヴィエラはラケルタを直視しない。ラケルタは端末の電源を入れ、イヴにコールした。当然、出ない。

「端末は誘拐犯に奪われたって設定だよ」

「できないわ、ギルヴィ! わたしは裏方よ」

 ラケルタは泣きそうな顔で叫ぶ。「わたしは歌えない!」

「うるっせえ!」

 イヴから与えられたストレスで限界だったらしい。見守っていた団員たちは、いつものギルヴィエラの登場に震えあがった。

「じゃあ他に誰がやるってんだ? 私がユスティナ歌うってか? そんな光景、見たいやつは手ぇあげろや」

 もちろん、誰ひとり手をあげはしない。「イヴのアホはなんか知らんが意地でも出ないつもりだ。誘拐はアイツが考えた設定だが、アイツがいま姿を見せてないのはたしかだし、本番の時間は刻一刻と近づいてるのもたしかだ。

 イヴは、おまえが歌えると言った。それに、現実問題、スコア全部頭に入ってるのは、私と指揮者以外ではおまえだけだ。どいつもこいつも私のユスティナなんかごめんだっつうんだ、おまえがやるしかない」

「ギルヴィ!」

 助けを求めるように、ラケルタはサイレに視線を投げてくる。ラケルタとサイレをくっつけたがっていたイヴなら、これぐらいやりかねない。

「いくら楽譜が入ってても、ちゃんとした合わせもしてないのに、いきなり本番は……」

「サイレ」

 言うと、ラケルタはうれしげにサイレを見た。だが、ギルヴィエラは冷淡だ。

「ほう、個人的な事情で練習ぶっちぎりまくってた主役が、よくもまあ常識を口にできたもんだな」

「ごめんなさい」

「……ギルヴィ、お願い」

「四の五のうるさい」

 半泣きのラケルタに、団長はつかつかと近づいていく。そして、身がまえたラケルタから、トレードマークのビン底眼鏡をさっと奪った。

 眼鏡に隠れていた星空の瞳が、きらきらと光った。今にもこぼれ落ちそうな涙が、かろうじて目尻にとどまっている。シファとの遊園地デートのときにも見た、眼鏡の奥にある彼女の両眼。

 なぜだろう。思いだす。彼が彼女に告げた、あの言葉。

 ——あなたの涙が、私の王冠の石。……

(ザイウス・パンタグリュエル)

「こんなみっともない眼鏡、ユスティナにはいらんな。この古くさい三つ編みも、いったいどこの流行りだ? ん?」

「あっ」

 とうとう彼女の眼から涙が、すう、と落ちる。

 まるで、流れ星のように。

 と同時に、ギルヴィエラが乱暴にほどいた彼女の三つ編みが、豊かにひろがる。ラケルタの髪は濃い赤毛だ。深い赤と青とは、夕刻の空のようだ——もっともサイレは、それを映像か、星〈メモリア〉で見たものでしか知らないのだけれど。

 ——目が離せなかった。

「どうだサイレ? 相手役として不足か?」

 問われて、声も出なかった。不安げに見上げてくるラケルタに、とにかく頭を振ってみせることしかできなかった。

「これが答えだな、ラケル」

 やれ! という、ギルヴィエラの一喝で、衣装担当たちが駆け寄り、星空の瞳の少女を連れ去ってしまった。

 サイレは上の空で自分の衣装に着替えた。少女のふりをしている少年のこの扮装が、妙に気恥ずかしかった。だが、サイレ、出てこい! というギルヴィエラの一喝で、サイレとラケルタは同時に団員のまえに引きだされた。

 おお、と声があがる。ラケルタは少年のふりをしているが隠しきれていない、かわいらしい少女の扮装だ。いつもは三つ編みと前髪で隠されていた彼女の容貌のすべてが、今そこであらわになっていた。

 覚悟を決めたラケルタのユスティナは、どこか凜とした空気をもっていた。けれど凜としたまなざしは、おそるおそるサイレを瞳に映して、ためらいに揺れた。

「あの、みんな少しだけあっちを見ていてもらえるかしら? サイレにちょっと……」

「へいへい。サイレ以外、右むけ右」

 ギルヴィエラの号令で、その場にいる団員はみな顔を背ける。

 わかっていないのはサイレだけで、団員たちの後頭部を詮方なく見まわした。

「サイレ、わたし勇気を出してもいい?」

「? うん」

 サイレははっきりと動揺した。心臓がどくりと——跳ねた、というより、浮かれて弾んだ、といったほうがいいかもしれない。

「少しでいいの。あなたの歌を、わたしに頂戴」

「えっ」

 星空の瞳のきらめきが、サイレに一瞬近づいて、離れた。「ええっ?」

 唇を、かすめていったもの——

「……よし!」

 ギルヴィエラは、ぱぁん、と今までにない音量で手を叩く。

「本番だ。——みんな出るぞ!」

​To be continued.

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