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​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<7>

〈本日、ユスティナ役のソプラノ、イヴ・クロカワが体調不良のため、代役をラケルタ・ノヴァリがつとめます〉

 突然の告知に、イヴのファンたちのため息が聞こえたが、それ以外はとくだんの騒ぎもなく、最終日の舞台の幕は上がった。

 最初にサイレの扮する主役・オーレンダの導入のアリア。ヒロインの登場は、そのあとすぐだ。はじまりのアリアを終えて舞台袖に入ったサイレは、他の団員と同様、固唾をのんで舞台を見守る。

〈——いや! いや! いや!〉

 思ったよりもずっと、伸びやかな歌声で、ラケルタは踏み切った。

「よし!」

 思わず団員一同、舞台袖でガッツポーズになる。つい声が大きくなって、内部事情を知らない聴衆は首をかしげたが、代役ヒロインの声の美しさにつられて拍手した。

〈汚い! くさい! うるさい! どうして男ってこうなの?〉

 喝采にも、ラケルタは一切動じなかった。コミカルな演技も、不慣れなために少しぎこちないところはあるが、ずっと練習を見てきただけあって、アマチュアであれば問題のないレベルだ。サイレの横で見守っていたギルヴィエラも、もはややけっぱちな態度はなくなり、ふむ、とつぶやいた。

「こりゃ大したもんだ。イヴのアホも侮れない。これを表に出すためにやったとしたら」

「ときどき、イヴは何もかもわかってるみたいだと思うことあります」

「星のお導きとか言うかねえ、あいつは。だけど、放っておいたら絶対に誰にもみつけられなかった力が、星とやらのおかげで表舞台に出てきたんなら、スピリチュアル趣味も悪くないな」

 珍しく満足げにギルヴィエラは笑いをもらした。「だけど、いくら星が導いたって、あそこまで歌えるのはラケルの努力だろ。なんで今まで、かたくなに歌手やろうとしなかったんだか。いくら性格が控えめだからって、あそこまで歌えるのに」

「本当に歌えなかったんだと思います。あのとき——おれに歌をくれたから、彼女は歌を失った。でもやっと、歌を返すことができた。いや、おれのなかにはまだ彼女の歌がある」

「あん?」

 怪訝な目つきで振りむいたギルヴィエラを、サイレはもはや見ていなかった。ただ、愛らしい少年の扮装をして、ころころと歌い、くるくると踊る少女を、じっとみつめていた。

 ヒロイン・ユスティナの歌声と、その男友達の合唱が交互にくりかえされる、「男同士」のユーモラスな掛け合い。アイバンはそのうちの一人として、友人の初舞台を心配げに見守っている。お調子者の友人Bのくせに、顔は心配丸だしだった。イヴじゃあるまいし、アイバンに心配なんかされる必要はない、とサイレは思う。

 ラケルタだけだ。

 ラケルタだけが、歌をうたっている。このアマチュアのオペレッタの中で、ほんものの歌をうたうのはラケルタだけ。

 自分の中にある彼女の歌が、呼応している。歌え。記憶を——歌え。

(会いたかったのは、きみだ)

 サイレの口もとに、笑みが浮かぶ。(どうしてきみのこと、忘れていられたんだろう)

 ギルヴィエラはそんなサイレをちらりと一瞥してから、くっと笑い、舞台をみつめる少年を残してその場を離れた。

 

 

 別の場所で食い入るようにラケルタをみつめる人物が、もうひとり。

「すごいすごいすごい! ラケルすごい! 超歌うまい! わかってたけど!」

 いうまでもなく、本来のヒロイン・イヴである。少女は、かろうじて彼女ひとりを収納できるだけの狭い空間に寝転がり、端末のホロと音声にかじりついていた。ホロは、美しい歌声を聞かせる彼女の親友を映しだしている。彼女の知的な雰囲気だと、少年の扮装もシャープな感じでよく似合う。けれど女らしさを隠しきれないところは、まさにユスティナだ。

〈どうしてわかってたの?〉

 端末のスピーカーが、〈オペラ〉大ホールの中継とは別の音声を流した。

「さあ、どうしてだろうねー?」

〈イヴちゃんのいじわる〉

「イヴちゃんとかやめてよ。パパみたい。イヴって呼んでくれなきゃ、何も教えてあげないよーだ。……あっ待って静かにして! ラケルがサイレと出会っちゃう! ズーム!」

 大ホール天井のカメラが、イヴの言うとおりラケルタとサイレに迫った。今オペレッタは最初の山場、ヒーローとヒロインが出会うシーンだ。この手のオペレッタでは、出会いからトラブル、引き裂かれるふたり、そして誤解がとけて結婚へ、と短い時間で盛りあがらなければいけないため、出会いはまずひと目惚れに決まっている。

 村の週末の夜、農作業を終えて、村のたったひとつの酒場に老若男女が集う。もちろん、オーレンダとユスティナは性別を偽っているので、日頃はそんな危険な場所には立ち入らないが、その日は友人の結婚祝いがあり、そのたっての願いで行くはめになった。結婚する友人たちというのが、ユスティナの男友達Aと、オーレンダの女友達Aであり、ユスティナがオーレンダに密かに想いを寄せているというので、友人思いな二人が企てたという次第だった。

 ふたりはそれぞれ、内心こわごわと、しかし外見は取り繕って、酒場に入っていく。

〈だれにも気づかれないように、隅で隠れていましょう〉

〈毅然と、美しく、高貴に。だれにも触れられないように。さあ、顔をあげて〉

 ユスティナは暗がりに身をひそめながら、オーレンダは人波の中央へ堂々と、登場する。ユスティナは、光のなかを歩く、女王のようなオーレンダに見惚れる。

〈すてきな方! みんな、酔いを忘れてあの方に見入っている〉

〈オーレンダ! 僕らの女王!〉

〈あの方がオーレンダ! なんという方を愛していると言ってしまったのかしら。あんな方を、つまらない嘘に巻きこんでしまった。友達がよけいなお世話をしないうちに逃げましょう〉

 しかしおせっかいな友人は放っておいてくれない。男友達B、つまりアイバンが、目立たないようにしている彼女をみつけだし、

〈愛しい友ユスティン! 君の思い人に忠誠を誓え〉

 と、ユスティナを光の中へ押しやり、

〈女神オーレンダ! かわいい友を憐れに思いたまえ〉

 と、男友達Cがオーレンダをユスティナのほうへ押しやる。

 悲鳴をあげて——ここももちろん歌声で表現する——ぶつかったふたりだが、当然ながらオーレンダのほうが強いため、はねとばされるのはユスティナだ。ここはコミカルに、サイレが突きだしたおしりにラケルタが跳ね返される。客席から笑いが起こる。

 あまりのことに、蒼白になる双方の友人たち。酒場はきまずさに包まれる。

 倒れたユスティナ。まずった、という顔のオーレンダ。だがユスティナは、震えるまなざしでオーレンダを見上げると、

〈怒らないでください、憐れみをください、美しい女神よ〉

 で始まる口説きのアリアを、かわいらしい声色で歌う。ときおり声を震わせて、しかしポーズだけはいっぱしの二枚目のように。

 歌い終えると、オーレンダのひと言。

〈なんと可憐な!〉

 うっかり男の声で歌ってから、

〈なんて愛らしいのでしょう〉

 と高い女声で歌いなおす。そして居酒屋は、もとの楽しい夜に戻っていく。こうして、オーレンダの心に可憐な少年ユスティンがすみつき、一方ユスティナの心には美しくも寛大なオーレンダへの憧れが芽生え、ふたりのラブストーリーが始まる。

 一幕は出会いの喜びを歌うデュエットで締めくくり、いったん幕は閉じる。一幕一幕はそんなに長くないのだが、アマチュアの学生団体というのもあり、一幕ごとに休憩が五分入ることになっている。

 イヴはホロから目を離し、

「ラケル最高だよー! ランドもそう思うでしょ?」

 狭い空間で足をじたばたと動かした。

〈価値判断はわかりかねるよ〉

「ポンコツなんだから」

 言うと、いきなり警報音が鳴り響いた。「なぁに、怒ったの?」

〈この場所に危険人物が近づいているよ〉

「えっ!」

 イヴは起きあがり、天井にごんと頭をぶつけた。いったぁ、と思わず声をあげたとき、イヴのいる空間にさっと光がさしこんだ。

「こんにちは」

 と、その人物はほほえむ。

 逆光で見るその人物の瞳は、赤だった。

「こんにちは、シファ。血塗られた花嫁」

「懐かしい話ね」

「相変わらず、人間のルールはまるで無視なのね」

「あなたは今のルールの隙間で楽しくやっているようね。星神の力が弱くなったおかげで、ただ人として生まれることができて、よかったこと」

「それはほんとそう」

 ここは、イヴの自宅、つまり市長公邸の中だ。トリゴナル内は個人の住宅だろうとなんだろうと、すべて治安維持のため常時監視されているが、イヴの部屋は娘に甘い義父の権限でその網から外されていた。イヴの自室から通じるこの屋根裏は、そこからさらに義父にも知らせずにつくった「システム上はトリゴナル内に存在しない空白の部屋」であり、それはイヴの言うところの〈妖精さん〉の力で成り立っていた。

 一応、サイレたちに対しては「イヴが誘拐された」という話にしてあるが——たぶんバレバレだろうけども——要するにイヴは義父を含め誰にもみつからず姿を隠しきり、最終日のヒロインをラケルタに委ねるため、この部屋で息をひそめていたというわけだ。

「残念ながら、星神の力は弱まっているとはいえ、まだ存在しているの。セキュリティシステムと星の配置はなんの関係もないことよ。あなたこそ、以前は見えない目で星の位置がわかったのでしょう? 目が見える代わりに星が見えなくなったということね」

「それもほんとそう。少ししかわからない……だけどどうしたらいいのかはわかる。うそが本当になっちゃうけど、あなたと一緒に行く。……ラケルは来てくれる」

「あまり素直だとつまらないわ」

 シファは手をさしだした。イヴは手をとり、よいしょ、と屋根裏からからだを滑らせる。シファの手は冷たいが、イヴの体重を片手で動かせるほどには力はある。人間離れした力。

「あなた前もそうだった。こうなる運命だからと、ただ座って殺されるのを待っていた」

「抵抗できる力もなかったし。目も見えないし。今は一応力はあるけど、あなたはそれ以上だもんね。抵抗してもむだでしょ」

 イヴの〈妖精〉は、警報を鳴らしつづけている。

「最後のときが来たんだよ、シファ。勝負しよ。といっても、あたしとじゃないけど」

 

 

「ドリンクどうぞ」

 休憩中、ラケルタはいつものとおり、裏方としても動きまわっていた。ヒロインをこなしながらも、誰かに用意させたクエン酸入りドリンクを、手ずから配っている。

 一方、歌手たちは早くも疲れ、座りこんでいる者も多い。

「ラケルタって化け物……?」

 今までただ大人しい裏方だと思っていた少女が、ここまでの力を秘めていたとは。ビン底眼鏡を外したら美少女だったというのもどこからツッコミを入れればいいのかわからないが、同じ歌手として、普段は何もしていないように見えたラケルタが一幕歌ってピンピンしているほうがダメージが大きい。

「わたし人間じゃないの」

 と、冗談をいってニコニコしながら、ラケルタは走りまわっていた。

「ラケルタ、あの……」

 サイレが話をしようとしても、

「今は舞台をやり遂げないと。喉は大丈夫?」

 などと気づかったうえで、どこかに行ってしまう。

(きみと、話したいことが)

 平常心で普段どおり働いているラケルタを見ていると、エンジュの星〈メモリア〉にサイレが適合したことも、星〈メモリア〉でサイレが見たものも、あのシファのことだって、すべて冗談だったかのように思える。この場所だけがサイレの現実であって、エンジュのことはただの幻だったかのような——だとしても、幸せだと思えるような。

(やっぱり、気になる。……ラケルタ、きみは誰?)

 このままでは歌に集中できない。サイレは意を決して、動きまわっているラケルタを探しにいった。

「ラケルタは?」

「さっき非常階段のほうに行ったみたいだけど」

「ありがと」

 団員に礼をいって、非常階段のドアをあけた。寒色の明かりに照らされた殺風景な場所で、ラケルタは端末をみつめていた。

「——それで今どこにいるの?」

(イヴ……?)

〈第十二階層の展望エリアよ。安心して。市警察が私たちを包囲しているけれど、邪魔はしないようにお願いしてあるから〉

(シファ——)

 話しかたですぐにわかった。

「イヴを傷つけないで」

〈この子を殺したら、すぐにでも私は射殺されるわ。私はあなたを待つの〉

 シファはそう告げて、通話は切れた。

「ラケルタ……今のは」

「ごめんなさい、サイレ。わたし二幕に出られない。約束があるの。行かなきゃ」

「シファが? どうしてイヴを。誘拐は冗談だったんじゃ」

「お願い、ギルヴィにユスティナの代役を頼んで。時間がない。シファは殺すのに躊躇なんかしない。市警察が射殺に踏みきったら、必ずイヴを殺してから死ぬ。わたしはもう、イヴを死なせたくないの」

「ラケルタ、それは市警察にまかせるべきだ」

 どくり、と心臓が脈打つ。あの赤い瞳をした星の子への、生来的な恐怖。イヴが彼女のそばにいるだなんて。ラケルタがそこへ行こうとしているだなんて。たとえラケルタが、みんなが今日知ったより、もっとずっと強い女の子なのだとしても。

「……行かないで」

「わたしは行く」

「おれ、ラケルタに言いたいことがいっぱいあるんだ。だから」

 すると、ラケルタは泣きそうになって、それから笑った。

「それを聞くために、ここに生まれてきたの」

「なら……」

「でも、行かなきゃ」

 少女は少年の横をすり抜けた。「わたししか、決着をつけられない」

​To be continued.

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