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​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<8>

 控え室のソファで虚脱状態になっていた団長ギルヴィエラ・ハンは、自分の端末が振動していることに気がついた。

 確実に、いやな予感がする。ついコールを無視していると、間をあけずメッセージを受信した。しぶしぶ開ける。

〈緊急事態発生。休憩は一時間で! サイレ〉

「おォォィ! ……は?」

 ついでに、市が発信している緊急ニュースのメッセージが目に入ったギルヴィエラは、そこに書かれた内容に目を疑った。

 アカデミア前の広場を市警察が封鎖。トリゴナルBからの移民で著名な天文学者であるシファ・アーマディー女史が、市長令嬢のイヴ・クロカワ嬢を人質にとり、第五階層の〈オペラ〉で現在公演中の学生オペレッタヒロイン役ラケルタ・ノヴァリ嬢を呼びだしたと。

「マジか」

「ええッ? イヴ? ラケルタ?」

 むこうでアイバンが動転している。ほかの団員も緊急ニュースに気づいて騒ぎだした。

「……まぁそれなら、休憩一時間でもしょうがねえ、よな……」

 いいのか悪いのか、今日は一日のはじまりから彼らに振りまわされているギルヴィエラには、もはや何がなんだかわからなくなってきた。

「とりあえず、待つか」

 

 

「緊急ニュース出てるよ」

 高速エレベータのリフトのなかで、サイレは端末を確認した。イヴがシファに捕まっているというのは信じたくない事実だが、ここまで大々的にニュースになっている以上、どうしようもない。

「団長から返信がないけど、さすがにみんなにも伝わってるでしょ。あとは行くだけか」

 はーっ、とサイレがついぞ吐いたことのない性質の息を吐く。

 かたわらのラケルタから返事はない。彼女はリフトの座席でシートベルトをしたまま、かがんで足もとの「それ」を点検している。「それ」は両足だけではなく、両手首からものびていた。細く長い針金と、その先に結びつけられた刃。

——アルバ・サイフ、と、かつて呼ばれていた武器。

 まちがいなく、この刃が叔父のラボを襲った。だが今は、そんなことを訊いている場合ではない。あるいは、もうひとりの使い手かもしれない。まさか生でこの武器を見られるとは思ってもみなかった。アルバ・サイフを思いどおりに操るには、独自の鍛錬が必要らしいと、星〈メモリア〉で見たものからわかっている。それゆえ、〈ティンダルの馬〉は体力も無尽蔵。オペレッタの一幕など、彼女にとっては楽勝だろう。

 でも、彼女はいまラケルタだ。ラケルタを生きながら、ティンダルの鍛錬を積むのに、どれほどの努力をしてきたのだろう。

「それ、よく残ってたね」

 サイレはつい感想を言った。

「ええ、頼んでおいたの。このときのために」

 ラケルタは武器から手を離した。「今はまだ話せない。まだ終わっていないから。すべてが終わったら……」

「うん、聞かせて。おれもいろんなこと、きみに話したいんだ」

 彼女は星空の瞳を細める。チャイムが鳴り、リフトが静止した。シートベルトを外して、ラケルタは立ちあがる。

 彼女は手を出して、

「あとでね」

「うん、あとで」

 サイレは白く細い手を軽くにぎる。そこから自分が溶けていきそうだった。

 これから彼女は戦う。重そうなバングルも、彼女はまるでないものかのように、舞う。そう、彼女はうつくしい舞手でもあった。

 やっと彼女の舞がみられる。あのとき、見られなかったものが。

 ——エンジュ。

(夢の庭の主よ。どうか愚かな私を、またあの庭園へ)

 ラケルタはひとつふたつサイレに言いおくと、目で彼女を追いつづける少年を振り返ることなく、リフトを出ていった。

 第十二階層の高速エレベータ乗り場は、厳重警戒体制だった。出入り口は立ち入り禁止のテープが貼られ、市警察が居並んでいる。かまわずにまっすぐ出入り口にむかう彼女を、市警察は呼び止めた。

「ラケルタ・ノヴァリさん? あなたそれ……」

 当然、アルバ・サイフを見咎められたが、次の瞬間——彼女は飛んだ。

 市警察の男たちのあいだにどよめきが起こり、軽業師のような動きで人垣を飛び越えていく少女を、唖然と見送る。アルバ・サイフは、すでにバングルから解放されており、長い鋼の糸をたらしていたが、市警察の人々を傷つけることなく、少女に従っていった。

「すいません」

 市警察の人々があっけにとられている隙に、サイレは押し通る。サイレは訓練を積んでいないから、あんな動きはできない。幸い、両手足からのびた糸を意思どおり操る古代の武器を目の当たりにして、市警察は完全に機能停止していた。

 サイレは走ってアカデミアにむかった。〈ティンダルの馬〉たるラケルタの姿は、とっくになかった。

 

 

 もちろん、昔に比べればからだは重い。なにしろティンダルの要であるアルバ・サイフは、トリゴナル内では違法武器の一種だ。ことが終わったら当然問題になるだろう。ことが終われば武器に用はなくなるのだからかまわないともいえるが、ともあれ違法なだけに、気軽にパンタグリュエル家の墓所から回収できなかったのは痛かった。

 トリゴナルの便利な生活では、ただでさえ筋力が低下しやすい。いや、そもそも筋力がつきづらい。それなのに、独特な位置の筋肉を要するのがアルバ・サイフだ。それゆえに、ティンダルの戦士はほぼ肌身離さずアルバ・サイフを身につけ、自分の手足と同様に扱い、絶えず鍛えつづけた。

 ジュピター・パンタグリュエルに返してもらうまで、ラケルタは生まれてから一度もアルバ・サイフに触れなかった。筋力トレーニングはできても、アルバ・サイフから離れていたのでは、いざというときに自分の手足にならない。

 記憶は自分の中にある。五歳の「あのとき」、自分がエンジュであったこと、星の子シリウスであったことを思いだして以来、それまでのすべての人生の記憶がラケルタにはあった。人間にとって忘却は必要だ。しかし、星の子であるラケルタにとって忘却は無意味、つまり許容量などというものはない。それは、忘れたくない記憶を忘れないという意味ではありがたかったが、と同時に、忘れえぬ記憶というものにときおり支配されるということも意味していた。冷たさの記憶や、血の記憶、炎の記憶といったもの。

 彼に再会したあとは、幸せでもあり、不幸でもあった。彼と再会してからここにくるまで、五年の月日を要した。彼が思いだすためには——妹星であるルキフェル、今のシファによる星〈メモリア〉の発見が必須だった。

(あれは)

 これも、忘れえぬ記憶のひとつだ。星の子の記憶を取り戻すときの、すべての霧が晴れたような感覚。目の前にいたはずの大切なものと、もう二度と会えない悲しみ。感情に支配され、あたかもそれを忘れることを望むかのように、五歳のラケルタは号泣した。

 あの子の星〈メモリア〉を、ルキフェルはわざわざ発見してきた。星の子は星の動きを感知する。そのためにシファは天才天文学者と呼ばれている。

 ルキフェル——対の星。星神とシリウスとの賭けの妨害者。にもかかわらず、シリウスを助けるような真似をルキフェルがするのは、「簡単に」勝つことに飽きたからだ。彼が思いだすギリギリのところで、希望を奪う。それが彼女の希望。サイレが過去を思いだしかけているのを、シファは知っている。

(だからイヴを使って、いま戦いを挑んできた)

 サイレを死なせたくない。イヴももう死なせたくない。人間であるラケルタのまわりにいる、大切な星たち。

 ——神さま。今度こそわたしは賭けに勝ちます。

 ラケルタは、立ち止まる。

 展望エリアの巨大なガラスのまえに、ふたつの影があった。

 ひとつは、イヴ。

 もうひとつが——シファ。

 イヴはとくに拘束されてはいなかった。シファからは逃げられないことを親友は理解していて、自分からついてきたのだろう。イヴは賢い。遠い昔から、ずっと。

 昔、ティンダルでは彼女の存在を心から頼りにしていて、彼女に歌を教えてもらったことが大きな誇りだった。

(スエン。かつて、怒り、嘆き悲しんだ自分が、視力を奪い、永遠に歌を伝承する役目を負わせた人々の、子孫。スエンはそれと知っていたのに、歌をくれた)

「イヴを逃がしていいでしょう? マリオン」

 昔の名前を口にすると、とたんにあのときの感情がわきあがるようだった。

「知ってのとおり、この子はあなたの大事な人を最初に殺した一族の末裔よ。星神との約束が今も有効ならば、この子の罪も有効ではないかしら」

「わたしはイヴが大好きなの」

 ラケルタの即答に、イヴも、ラケルわたしも大好きだよ! と叫んだ。

「もういったい何年……千年も二千年も、わたしはイヴたちを苦しめてきたわ。怒りは徐々に消えていく。後悔しているの。こんな子に、星見の運命を背負わせてしまったことを。もっとも、イヴが伝えるまえに、わたしは彼と再会して記憶を取り戻し、あなたが彼の星〈メモリア〉をみつけてくれたおかげでサイレもほぼ記憶を取り戻したわけだけど。ありがとうと言うべきなのかしら」

「お好きに」

 くすくす笑って、シファは答えた。「わたしはただ、おもしろくしたかっただけ。星神の命を遂行するのは簡単。単にサイレを殺すだけなら、永遠にあなたの勝ち目はない。殺せばいいだけだもの。星神はあなたに厄介な条件ばかり出した。わたしはそれがうらやましかった。だから、わたしは自分で条件を課すことにしたのよ。

 たとえば、星神に許されている範囲であなたの目的に手を貸す。たとえば、サイレを私に夢中にさせる。たとえば、シリウスの歌を奪い、わたしが〈庭〉を手に入れる。たとえば、あなたが二度と別の人生を生きようと思わないぐらいに打ちのめして、それからサイレを殺す。

 それには、あなたの夢が叶うかと思ったときに、あなたを殺せばいいの。そのあとで、ゆっくりサイレを殺す。それで今回は終わりよ。また次回」

「次回はない。そのつもり」

 ラケルタは短く返した。イヴは真っ赤になって、シファに食ってかかる。

「ちょっと! 絶対絶対、サイレを殺させたりしないんだからね! サイレはラケルと幸せになる。今度こそふたりは幸せになって、一緒に生きる……!」

「愚かな星見」

 シファは哀れむようにイヴを一瞥した。「忘れたの? サイレの星は〈冬の王〉の星。死してその地に春をもたらす犠牲の星。最初のサイレが死んだのは、わたしが殺したからではない。わたしに殺されなくても、いずれ祝祭の日を迎えて星神に捧げられるのがサイレの運命。今のこのトリゴナルのお祭り騒ぎ、祝祭じみていると思わない?」

「わかってる!」

 イヴはどなった。「それでもサイレには幸せになってもらわなきゃ……サイレはあたしのお兄ちゃんだもん……」

「え? どういうこと」

 それどころではなかったが、ついラケルタは聞き返した。

「あたしの本当のパパとママが死んだから、あたしは施設に入れられて、今のパパにみつけられたの。パパにみつけられるまで、あたしは施設でサイレと一緒にいた」

「サイレのご両親は健在では?」

「健在だけど。サイレはある意味、ご両親の子どもじゃないの。市民動物園のカッコウと一緒。サイレはほんらいご両親のもとに生まれる予定じゃなかった。なのに、星神が本当の子どもとサイレの星を入れ替えた。ご両親はサイレに親しみを抱けずに、一時施設に入れていた。本当に小さいときだから、サイレは覚えていないみたい」

「神さま——なんてことを」

 でも、とラケルタは思う。そうでなければ、今、サイレに会えていなかった。

(神さま。どう考えればいいんでしょうか。あなたは約束を守ってくださいますか。それとも、わたしの願いが勝手なのでしょうか。見知らぬ人の運命を変えさせて)

 

 ——遠い昔、神さまと賭けをした。

 

 生まれたばかりの小さな恋のため。あれから、何千年が経ったのだろうか。まだ自分が、人のかたちもしていなくて、ただの光源にすぎなかったころ。サイレ。あのころは、その名前ではなかった。

​To be continued.

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