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​メテオ・ガーデン

09. 終わりの歌<9>

「お待たせしました」

 イヴはシファに向きなおる。「そんなわけで、意地でもサイレには幸せになってもらう所存です。〈運命を曲げ、従わせる者〉って、呼ばれてた人なんだから」

「実現するまえに死んでもらったけれど。それに、あなたを殺す命令を出したのは彼よ」

「うっさいよ!」

「——いいかしら」

 シファが、するりと歩きだす。それにともなって、手足からのびる鋼の糸が、蛇のごとく鎌首をもたげる。

「そろそろ終わりにしましょう」

「イヴ、離れて。サイレと一緒にエレベータのところへ」

 ラケルタの目は、遠巻きにたたずんでいる少年の姿をとらえていた。

 遠い昔、今ほどの才能も力も持たなかった少年は、星の子の願いを経て〈王〉の力を持つに至った。あまりにも力弱く、けれどあまりにも強くやさしかった彼がかわいそうで、それを星神に願ったシリウスだが、今はそれでよかったのかわからない。

 何がよくて、何が悪かったのか。それでも、ほんの四、五日のあいだしか一緒にいられなくて、あまりにも口惜しくて。シリウスの願いは、星神をうごかしてしまった。

 そうして、何千年も経った。

「サイレっ、行こ」

「でも——」

「あたしたちには何もできない! あたしたちはティンダルの戦士じゃないんだから」

 イヴは駆けだし、サイレの手を引いていく。高速エレベータ乗り場のガラスドームも、もちろん強化ガラスだ。けれど、アルバ・サイフが製造された遠い遠い昔には、あらゆるものを切り裂く鋼が存在した。今の人類の文明もその高みへ近づこうとしているが、まだそれは実現していない。

 ふたりは乗り場に入り、ガラスの自動ドアが閉められた。サイレとイヴは、ガラスに張りついた。ラケルタとしては奥に引っこんでいてほしかったが、仕方ない。動物園に展示された動物をみつめる幼児のようなふたりに、ラケルタは笑ってしまった。

 あれはラケルタが五歳のときだった。あのころ、ラケルタは星の子の記憶を持たなかった。トリゴナルKへ移住してきてしばらくして、両親がラケルタを動物園に連れていってくれた。第二階層、つまり最上階まで吹き抜けになった〈つくられた楽園〉の地上部分から、ラケルタはガラス越しに、そこにいた巨大生物をみつめていた。

 ——〈最後の竜〉。

 それは、太古に滅亡した恐竜の最後の生き残りであり、唯一無二の存在だった。ほかの仲間もなく一匹だけで生きのびていた。しかも彼はずっと人間のそばにいたという。古くは見世物小屋にいたことも、王侯貴族の檻にいたこともあった。最後のときには、トリゴナルKの筒状の檻にいた。

 この世界のどんな生物よりも巨大だというのに逃げだすこともなく、彼は柔和に人間の与えた環境を享受していた。長い首を、彼にとっては決して広くはないガラスの中でうごかし、各階層で行き来する人々を見守っていたという。

 ガラスのまえで、あまりにも高いその首を見上げたとき、ラケルタは何も思いださなかった。だが、彼はラケルタをみつけた。しかし鳴き声をあげたりはしなかった。彼は静かな生き物だった——まだそんなに大きくはなかった昔から。

 長い首を折り曲げて、大きな眼を少女のまえでうごかし、何かを訴えるようにひたすら少女をみつめた。周囲の大人たちは驚いた。いつも大人しい〈最後の竜〉が、そんなに強い関心を見せることは一度もなかったからだ。

〈竜〉はそのまま、その場に首を落としてしまった。長い首の残りが上から振ってきて、あたりじゅうが振動した。

 突然の〈竜〉の死。あたりは騒然となった。

 そして、それもまた、突然だったのだ。

 ——ルル! ……

(わたしを待ってた)

 ひらめきとともに、すべての記憶が、彼女に降りかかってきた。と同時に、前の人生においていつ何時もそばを離れなかった親友が、生きてエンジュとの再会を待ち、エンジュをひと目みて死んでいったという事実が、いまだ五歳にすぎない少女に襲いかかった。

 小さい肉体は、すべてを拒絶するように、火がついたように泣きだした。それは、ラケルタの人生のいちばん古い記憶だ。

 ルルが命をかけて伝えてくれたからこそ、新しい命に生まれ変わったあと、たった五年で星の子の記憶を取り戻すことができた。エンジュだったときは、大切な人を失うまで思いだせなかったのに。

 探している人がいることや、争う相手がいること、それに——星神との賭け。賭けに勝たない限り、戦いはつづく。

「——ルキフェル」

 星の姉妹、星神が宿命づけた敵。彼がすべてを思いだすまえに彼を殺すのが、彼女の役目だった。たとえ彼女自身が望んでいなくとも、彼女はシリウスの敵。

「させない。もう彼が死ぬのを見るのは、いや。大切に思った誰かが死ぬのも!」

 シリウスはエンジュのころになじんだ武具を、姉妹たる女にむかって放つ。四方向から、刃は切り裂く。

 しかし、受けるのも四枚の刃。かきあげるように放たれた刃は、えぐろうとする刃を返す。鋭利な金属と金属が衝突する、きん、という音が耳を突いた。

「このときを待っていた」

 赤い瞳のルキフェルは、にっと口角をあげる。「このときだけ!」

 同じ星神を母にもつ姉妹でありながら、ルキフェルとシリウスはまるで性質がちがう。目の前のものに心を寄せるシリウス、刹那を愛しそこに何もかもを捧げるルキフェル。正反対だからこそ、星神は彼らに敵対を運命づけた。約束を、果たさせぬために。賭けで星の子を縛り、人のあいだをめぐりつづけるために。

(神さまは、なんてむごい)

 いつまで。いつまで舞いつづければいい。鋼鉄の糸が、交差する。

(いえ、わかっている。あれはわたしの勝手な願いだ。神さまは、わたしに希望を与えた!)

 舞い飛ぶ八本の糸が、ふたりのあいだを行き交い、雪のように、風のようにきらめく。

 埒があかない。どちらも決して退くことはないのだから。

 ラケルタは激しく糸を戦わせ、舞うように戦いながら、高速エレベータ乗り場を振り返った。ガラスドームの中には、市警察の人々とサイレとイヴがいる。ガラスに手をぺたりとつけて、固唾をのんでこちらを見守っている。

 気を逸らした瞬間、シファの眼が獣じみて赤く光った。

「だめっ!」

 ラケルタはシファの進行方向に飛びこんでいく。間に合わない。回りこめない。それなら——反転。上へ!

 アルバ・サイフの鋼、失われた高度文明の名残りよ。何もかもを切れるというのなら、今こそ切れ。

 右足首と左足首で、弧を描く。空を切る。切ったのは——強化ガラスの外壁、トリゴナル(三角錐)の頂点近く。あの日、ラケルタの手を離れた赤い風船がとどまっていた場所。

 音もなく、ガラスはひらかれた。そして、その破片が、シファの頭上へと落下する。悲鳴をあげたのは、強化ガラスの扉に守られたイヴだった。シファはすばやく反転、ラケルタを追ってきた。切り裂かれたガラスは、ピアノの鍵盤を叩きつけるようなけたたましい音をたてて飛び散った。

「シリウス——!」

 トリゴナル(三角錐)の外へ、ふたりの星の子が飛びだした。

「——シファさん」

「!」

 ガラスの外で待っていたのは、ジュピター・パンタグリュエル。

 外壁の外、急勾配なガラスのうえで腰かけ、彼はこの瞬間を待っていた。

 少年は静かな笑みで、獣じみた眼の女を迎え、その首に抱きついた。

「僕とデートしてください」

 ジュピターの背丈は、女より低い。しかし、急勾配の外壁上で体重をかけられれば、均衡を崩すのはたやすい。

 少年は女を抱きしめたまま、ガラスの上をとめるものもなく転がり落ちていく。

 ジュピターを外に出したのは、ほかならぬラケルタだ。ラケルタのアルバ・サイフと、トリゴナルKのセキュリティ・システムをハッキングできるイヴの〈妖精さん〉がいて、初めて彼を強化ガラスの外に出すことができた。葬送エリア以外からガラスの外に出る、久しぶりの人類だ。

 もっとも、これも葬送なのだけれど——落ちていく先、トリゴナル内部の第六階層の高さに待つのは、〈毒の海〉だ。

 まわりまわって落ちていく女の瞳は、その海と同じ色をしていた。その海の中では人類は決して生命を維持することができず、それゆえに〈毒の海〉は人類をトリゴナルの中へ追いこんだ。それは、星の子の心をもつ人間とて、同じ。

​To be continued.

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