メテオ・ガーデン
09. 終わりの歌<10>
「無事なのかよ! おい!」
団長は戻ってきた三人の姿を見るなり叫んだ。「ラケルタおまえさあ、何なの? 人間じゃないの? 何あのジャンプ力、脚力。めちゃくちゃだろ……」
すでにアカデミア前広場での一件は、あの場所の監視カメラを通して緊急ニュースとして放映されたらしく、ギルヴィエラは目を白黒させていた。ラケルタはすでにいつもの大人しい彼女に戻って、何も言わず黙ってほほえんでいる。
が、ギルヴィエラはすぐ矛先を変えた。
「イヴこの野郎! うそを本当にしちまいやがって! どうすんだ、客がみんな一時間休憩で待ってる。この騒ぎだけど、舞台は中止命令が出てない。中止されない以上は、やる」
「今日のユスティナはラケルだよ。ラケルに最後までやらせて」
「わたしからもお願い。ギルヴィ……きゃあ!」
頭を下げようとしたラケルタの服を、容赦なく衣装係がはぎとった。横にいたサイレや、男性団員の多くはあわてて顔を背ける。ちゃっかり目撃した者もいたが、別の衣装係がすばやくユスティナのドレスをかぶせた。
「議論している暇はない。ラケルタが出ろ。ケガはしてないか?」
メイクを直そうとして近づいた女学生が、悲鳴をあげる。ラケルタの顔や手足は、細かい切り傷が無数に刻まれていた。
「これくらいですんで幸運よ。アルバ・サイフは手足を切り落とすこともできる」
「おまえとうぶんマスコミの人気者だな……マスコミだけじゃねえな、アカデミアの学者連中もだな……まあいい。カバーしろ」
「はい!」
メイク係は気合いを入れた。ラケルタは心なしか沈んだ眼をして、メイク係の仕事を受け入れていた。
それを見ているサイレは、彼女といろいろなことが話したくてしょうがなかったが、我慢した。女の子の衣装で彼女と話すというのも、正直かっこうがつかなかったし、まだ今日のすべては終わっていないのだから。
オペレッタの幕がふたたびあがる。一幕でひと目惚れしたオーレンダとユスティナ、それぞれの独白から二幕は始まる。舞台上にスポットライトでともされたふたりの主役、離れたところにいるふたりの希望と不安のデュエット。
ラケルタの歌声は高く遠く響く。もはや、不慣れな印象などまるで与えない。戦いであたたまったからだから流れ出るのは、豊かさと不安定さをあわせもつメロディ。初恋のニュアンスと、もしかして、きっと、という期待。
希望が大きいだけに、不安は増幅するもの。悪気のない友人たちは、めいめいに友人を応援するべく走りまわってふたりの仲をかきまわす。嫉妬させようと別の人の存在をほのめかしたり、あるいはあの美しいオーレンダは実は男なんだと言ってみたり。
ユスティナは内心動揺する。あの美しい人と結ばれることがありうるのかもしれない! しかし次に立ちはだかるのは、オーレンダの出自のうわさだ。どこぞの名家のご落胤だといううわさが、まことしやかに流れている。
ただ両親を失い、自分の身の安全を守るために男装していたユスティナは、村娘にすぎない自分がオーレンダと結ばれるわけにはいかないと思う。そこで、愛の告白をしようとしたオーレンダと明日会う約束をしながら、ひとりでよそ者として村にやってきたのと同様、ひとりで村を去った。
一方オーレンダは、貴族の息子であるのは事実だったが、それでも愛らしいユスティナとの結婚の決意は固かった。だがこちらの問題は、ユスティナのことを必要以上にかわいらしい男だと思っていることだった。村の人々は密かにどう見ても女だと思っていたわけだが、人々を手玉にとっているつもりのオーレンダは、ユスティナまで性別を偽っているとは気づかなかった。
誰もいなくなった彼女の家のまえで、嘆くオーレンダ。そこへやってくる友人たち。ユスティナは女なのだから、オーレンダは結婚できるわけではない、これでよかったんだ、といって彼を慰める。オーレンダは目を輝かせて立ちあがる。
そこで、冒頭の主題がふたたび流れ、同じ歌詞がくりかえされる。スカートをひるがえして、
〈ほらごらんよ——あたしは男!〉
友人一同、驚愕の幕切れの二幕。
三幕は、通常どおり二十分の休憩で幕が上がった。失意のユスティナは荒野をさまよう。そこへ追いついてくるオーレンダ。もはや躊躇する暇もなく、愛の告白。
ユスティナのためらいと、ほんの少しの勇気。
〈この愛が、わたしのものになるのなら、勇気を出します〉
そして終幕へ。
少年オーレンドは男ものの結婚衣装を、少女ユスティナは女もののウェディングドレスを着て登場する。ウェディングドレスといっても、生成り色の木綿のワンピースに素朴なレースが縫いつけられたもので、少女らしくラケルタによく似合っていた。
〈お手をどうぞ〉
サイレは手をさしだす。
〈はい、だんなさま!〉
とまどいがちな笑みが、徐々に花ひらいていく。
〈ユスティナ! 僕の花——〉
〈オーレンド! 私の夢——〉
ふたりは声を合わせる。友人たちの合唱が、それをくりかえす。
〈愛は人生——〉
〈カンパニエ〉AT五六年度定期公演、喜劇「オーレンダ」は終幕した。
満場の拍手のなかで、残された舞台上のふたりは、手をつないだまま少しだけみつめあう。すぐに拍手は主役のふたりに場所をゆずり、三回めの実験が始まる。
ほほえみあい、口をひらいたのは、ふたり同時だった。
〈神々の御世、星々の下なる丘にて
星の子墜つ
星呼ばいしは 贄なる幼子なり
清き眼と唇と髪とをもって
星神の恩恵の代償として献げられしが
星の子を憐れみて 星の子憐れみけり
語りあいて 飽くことをしらず
語りあいて 淀むことをしらず……〉
〈オペラ〉の客席に、星が降ってくる。星は人々の目に映る風景すべてを呑みこんでいく。
人々の足もとに、緑の草が揺れている。空には、満天の星々。
人々は席を立った。あわてて動いて、見えない椅子で足をぶつけた人々もいた。
どこまでもひろがる星空の草原は、しかし大地を踏みしめることは許されない、架空の風景だった。
To be continued.