メテオ・ガーデン
09. 終わりの歌<11>
ふたりは舞台袖に駆けこむと、おたがいにしがみついた。もう離れる必要はないと思った。話がしたかった。
遠い昔の悲しさとうれしさを、サイレは知っている。
星空の下の草原に、彼は捨ておかれた。逃げだすことなく義務を遂行できるように、丘の上の木の幹に縛りつけられ、彼はそこでひとりぼっちだった。
そこに空から、光のかたまりが降ってきた。
ああ、これに食べられてしまう。それが自分の役目。彼は観念した。と同時に、ずっとその存在は語られていたが、一度も見たことがなかったその光に、彼は好奇心がわいた。短い人生最後の好奇心だった。
少年はおそるおそる口をひらいた。
きみ は だれ?
——きみは誰? ……
光は答えなかった。けれど、彼を食べようとはしていないのはたしかだった。彼のまわりをふわふわと浮かんでは、そこにいた。
——ぼくは——だよ。
彼は、まずは名のろうと思った。
——ボ、ク、ハ……——。
なんと、光はしゃべった。が、いっていることの意味がわかっていないというふうだ。わけもわからず、ただ反復しているらしい。
——きみは誰?
——キ、ミ、……。
少年は、ふふっと笑った。わかっていない。でもきっと、わかろうとしている。〈星神〉というものは、自分をぺろりと呑みこんでしまうのかと思っていたけれど、そんなものではなかった。村のみんなは誤解しているのだ。
——ぼくは、きみに食べられるためにここにいる。村のひとたちは、実りが少ないのはきみが気にいらないことがあるからだと思っているの。きみがごきげんを直してくれるように、ぼくをさしだしたの。
——ボ、ク、ハ、キ、ミ、ニ、……。
——ごめんね、むずかしかったかな。少しずつ話さなきゃね。
少年は光にいろいろなことを話しかけた。自分のこと、村のこと、村に自分をおいていなくなってしまった家族のこと。家族がいないから、村が自分を〈星神〉にさしだしたこと。
光はそれらの話を、じっと聞いていた。いなくなろうとする気配はなく、少年の話に耳を傾けていた。少年はうれしくなって、自分の頭の中にあるものはなんでも話した。
村は自分をさしだしたけれど、ひとりぼっちの自分にずっとやさしかったこと。となりの家の奥さんが分けてくれるスープのおいしさ。星祭のまえの日に、女の子たちが家の鴨居にかけてくれた小さな花束。
自分が〈星神〉のところに来たからといって、村の実りが回復するかどうかはわからない。でも、やさしくて怖がりな村の人たちがそれで安心できるなら、自分はかまわない。少年は、自分自身に言い聞かせるようにそう言った。
——怖い?
急に、光はそう尋ねた。すでに意味をわかっている声だった。
——きみ、すごいね。
——あなたがくれた。ねえ、怖い?
——うん、怖い。
少年は短く答えて、またさまざまな話をした。少年は話しつづけた。光は学んだばかりのことをどんどん質問する。少年が答えるごとに、光の言葉は増えていく。
何日経過したか、少年はもはや数えてはいなかった。もはや時間の問題だった。縛りつけられている木から滴る水でかろうじて喉だけを潤し、少年は生きながらえていた。
言葉を覚えた光は、しかしそんなことは何もわからなかった。光のなかにあるのは、知識への好奇心だけ。少年が話せば、光はそれを吸収しつづける。ただそれだけ。
ねえ、助けて。そう言いたかった。言えなかった。光は自分とはちがう存在だ。それに、光が望むものを与えつづけたいという気持ちもあった。光はずっと、そばにいてくれたから。
——どうしたの?
——だいじょうぶ……。
少年はそれだけ答えた。
たとえ、この時が長続きしないとしても。
——ねえ。
——なに?
——きみは、誰……。
——わたしはシリウス。
——シリウス。さようなら。
目の前の光が、明滅した気がしたのが、最後の記憶だった。
そして今、姿を変えて、光は腕のなかにある。
「シリウス」
少女ははっと顔をあげた。「きみが好きだよ。きみに会ったときのうれしさを、覚えてる」
舞台からは、いまだに拍手が鳴りつづけている。それにもかまわず、少年は目の前にある少女の瞳をみつめつづけていた。
「わたしはもう、シリウスじゃない」
「え? じゃあ——きみは誰?」
少女はほほえむ。その眼に、光るもの。
「わたしはラケルタ。あなたを好きな女の子」
少年は、頬に熱を感じる。
「おーい、いつまでやってんだ」
ギルヴィエラは力づくでサイレを剥がし、ぽいっとスポットライトの中に追いだした。歓声があがり、拍手がいっそう激しく鳴り響く。
ラケルタもそれに続き、
「ラーケルっ」
その腕にイヴが抱きついて、舞台へ。ほかの団員も舞台に並び、全員が手をつないで頭を下げた。
花を抱えた人々、それに報道陣らしき人々が舞台をめがけて突進してくる。花をもっている客のなかには男性客も多く、おそらくラケルタのために花を用意した客もいるのだろう。イヴー! と野太い声で叫ぶ者もいた。
そのときだった。
昏い眼をした少女が、花束をもって飛びだしてきた。誰かが悲鳴をあげた。少女は、そのままサイレに抱きつくかのようなそぶりをみせた。
祝いの花に、隠れたナイフ。
どん、と少女は少年にぶつかった。
「サイレ君。恋は、しないで」
血が、その場に滴った。「私のこと好きにならなくてもいいから——だから」
「……ごめんね」
サイレは、ゆっくりと崩れ落ちる。「おれは恋をしたよ。きみには何もあげられない」
少女の泣き叫ぶ声と、警報音とが、〈オペラ〉大ホールに反響した。
To be continued.