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​メテオ・ガーデン

10. 神話の少年

 すすり泣きが満ちる葬送エリアで、イヴはアイバンとギルヴィエラとともにうつむいていた。

 かたわらのアイバンは、ファンの女性たち以上に泣いている。

「サイレ、あいつ……ちゃんとしとけって……」

 言葉は、涙にのみこまれてしまう。サイレのたくさんの彼女たちも、そういう状態だった。サイレを刺したのは、いちばん最近つきあいだした女の子で、ほかのファンの子からも孤立していたという。

 サイレは誰とでも望まれれば一緒にいたが、その中の誰とも心を分かちあわなかった。ほとんどの女の子は、それをわかったうえでサイレといたが、誰もが物わかりがいいわけではない。

 もっとはっきり、その子が危険だといえばよかった? トリゴナルK最下層の、光量が絞られた葬送エリアで、イヴは自問する。サイレの運命は見えていたのに。ラケルタとのことが見えていたように、彼女とのこともわかっていたのに。

(星見はみるだけ。運命は変えられない)

 イヴがスエンとして生きていたときも、少なからずその疑問を抱いた。年老いてからエンジュと出会ったとき、星の子どもであるエンジュの数奇な運命に、単に歌を伝えることでしか力になれないと知ったときの無力感。何ひとつ助けにならなかったことを悔やんで、イヴはサイレやラケルタを助けようとしたけれど、結局、無力だ。

 ——だけど。

(星神とシリウスの約束は、叶ったはず)

 生け贄の少年を、飢えと渇きのなかで死なせてしまったシリウスは、母なる星神に願ったという。

 ——もしも、生まれ変わったあとで、彼がシリウスのことを思いだしたなら、そのときは彼のそばでただ生きて死ぬ、平凡な人間の娘にしてください。

 その条件は、みずからは決して語らないこと。ラケルタはやり遂げた。サイレもまた、それにこたえた。シファの気まぐれが、そこに導いた。

(これで終わりのはずがない)

 イヴは、悲鳴に近い女性たちの声に、顔をあげる。

 喪服を着こんだ人々の列のあいだを、ベルトコンベアにのせられた棺が滑っていく。

 棺には小さなガラス窓がついていて、顔が見えるようになっていた。目を閉じたサイレが、コンベアの流れにのって運ばれていく。

 コンベアの行く先は、トリゴナルの底——〈毒の海〉の水底だ。

 パンタグリュエル家のような、狭いトリゴナル内でも墓所をもっている名家以外は、こうして遺体は〈毒の海〉へ放出される決まりだった。

 ——サイレ。ラケルタ。

(これで終わりじゃないよね。また会うことは、できないかもしれないけど)

 強化ガラスのむこうの星々の、わずかな光が語るところに、希望をかけて。

〈イヴちゃん〉

「しーっ」

〈妖精さん〉の声に、イヴは唇に指をあててみせた。

「あたしはだいじょうぶ。だいじょうぶだよ」

 ラケルタは事件のあと、姿を消していた。

 この葬儀にも、彼女の姿はない。

「ハッピーエンドは、あたしには見られない。……わかってるけど、さびしいね」

 

 

 どこまでも透明な青い世界が、少年の目の前にひろがっていた。

 あの恐ろしい少女の瞳の色。死の色。あの人ももう、この海のなかに沈んでしまった。ジュピター・パンタグリュエルと一緒に。

(……パンタグリュエル?)

 サイレははたと気がついた。(あいつ、シファさんのファンのあいつ! なんか名家がどうのこうのと言っていたけど、ザイウスの家の子孫なのか! というか、セレステの)

 サイレは勢いよく起きあがろうとして、ほとんど動ける場所がないことに気づいた。視界が青いのは、顔のまえに小窓があって、外が見えるようになっていたからだ。

 青い。

 これは、第六階層のカフェ〈ラ・メール〉から見える〈毒の海〉の色だ。〈毒の海〉の水のなかでは、人は生きていることはできない。

 けれど、サイレは自分がおさめられている箱の中で、思いきり手足を動かしていた。思いのほか簡単に箱はひらき、サイレは毒の水に包まれる。箱はゆるやかに水底へと落ちていく。サイレは水色のさなかに、ただよった。

 絶望の海は、果てしなくうつくしい。

 サイレはいつまでも、その水色にみとれていた。

 だが、やがて不思議に思った。どうして死なないのだろう。それとも、もう死んでいるのか? 死んで心だけになって、水のなかに浮かんでいるのか? 〈毒の海〉は、死んだ心の行き先なのか。

〈生きてもいない〉

 と、何かが言った。〈しかし死んでもいない〉

(だれ……?)

 サイレはあたりを見渡した。背後を振り返ると、トリゴナルの三角錐が、海底からそびえている。

 外から見ると、なんて大きいのだろう。三角錐の頂点は水面のうえに出ており、水の中からはその影がゆらめいて見える。

 ふいに、何かの影が横切った気がした。

 サイレは水中エクササイズが得意ではない。だが、思った以上に自由に、思った以上に速く、サイレの意図どおりの速さで、水のなかを進むことができた。

 三角錐の辺をまたいで、別の面へ。

 予想をはるかに越える大きな影が、サイレを見下ろしていた。

 全長はトリゴナルの高さにも届きそうな、巨大な爬虫類。長い首の上に、全身のサイズに比べれば華奢な頭がついていて、黒い静かな眼がサイレをみていた。

〈……ルル?〉

 サイレはその名前を呼んだ。

〈かつて人間から『ルル』『最後の竜』と呼ばれたものの星は、すでに墜ちた。わたしは別の個体。あなたの運命を伝えるためにやってきた〉

〈『最後』じゃなかったんだ……〉

〈それは、人間がつけた呼び名にすぎない〉

 なんと〈竜〉は、このバトロイアで生きのびていたのだ。人類はトリゴナルに逃げこんだために、この〈毒の海〉のなかでもなお生きながらえる生物を発見できなかったのだろう。

 が、サイレの考えていることを〈竜〉は見透かして、頭を振ったようだった。

〈生物といえるかどうか。われわれもまた、力は弱まったとはいえ、星の子ども。生物はやはりこのなかでは生きられない〉

〈じゃあ、おれはなんなの? おれは今、ここで生きている。呼吸もできる〉

 正確には、意識して自分のからだを観察していると、呼吸はしていないような気がした。正しくは、呼吸はしていない気がするが、今ここに生きて、意思をもって話をしている、それはまちがいない。

〈あなたもまた、星の子だ〉

〈竜〉の姿をした星の子は、告げる。

〈『最後の竜』と呼ばれた星の子、星神の残された力が、みずからの星とあなたの星を入れ替えたのだ。『竜』は『冬の王』として死んだ。あなたは、星の子として生まれ変わった。

 あなたはどこにでも行ける。ありとあらゆる時代、地域、宇宙、あなたはどこにでも偏在する。しかしあなたはもはや人間ではない。人間として死ぬことはできない〉

 言うべきことは伝えた、と。

〈竜〉は言って、さっと泳ぎだす。

〈待って、まだ聞きたいことが〉

 サイレは手をのばした。

 そう思った次の瞬間、〈竜〉の面前にサイレはいた。

〈シリウスは、ラケルタはどこ?〉

〈シリウスと星神の約束は果たされた。シリウスは人間の娘となった〉

〈おれは人間じゃなくなったのに?〉

〈竜〉は答えなかった。

 けれど、最後にもうひと言だけ、付け足した。

〈神話の生命を、生きよ〉

 どこまでも透明な水のなかに、少年はひとり、生きもせず死にもせず、ただよっていく。

 

 サイレはトリゴナルKの内部に入った。

 サイレが通りを歩いても、誰も気づかなかった。街頭モニタにはサイレの死のことが流れていた。古代の少女が現代に生まれ変わり、人々に大地の夢を見せたこと、そしてその少女がさまざまな謎を抱えたまま行方をくらましたことが、彼女の残した痕跡とともに放映されていた。生きもせず死にもしない少年は、トリゴナルKの各階層をさまよった。

 家にも帰った。サイレを最後まで客のようにしか扱えなかったコリンズワースの家族は、サイレの死に沈んではいたが、サイレがここにいることにはまるで気づかなかった。

 アカデミアにも、ラケルタはいなかった。アイバンと同じクラスだったが、アイバンの横にサイレが座っても、決して姿を見せなかった。

 アイバンはさみしそうにして、放課後クラブに顔を出しては、サイレやラケルタのことを話していた。ギルヴィエラは相変わらずサイレを罵倒していたが、ラケルタの歌をもっと聞きたかった、と彼女はつぶやいた。

 イヴはクラブにもアカデミアにも来なかった。イヴもまた、トリゴナル内で何かを探しているようだった。きっと、ラケルタと自分を探してくれているのだと、サイレにはわかった。棺はすでに最下層の葬送エリアから流されていたが、イヴは何かを感じているらしかった。

 高速エレベータに、イヴはひとり乗りこむ。リフトのシートベルトの扱いが苦手な彼女は、相変わらず手間どって、いつまでもリフトが動きださない。

 ——ほら。

 サイレは思わず手を出した。シートベルトがかちゃりとはまって、リフトは動きだす。

「……サイレ」

 イヴは泣き笑いの顔で言った。

「また、会えたね」

 

〈竜〉の言ったとおり、サイレはどこにでも行けた。

 現在。過去。ここ、そこ、あちこち。星の子として、いろいろな風景を見た。トリゴナルの中では知りえなかった広さが、そこにはあった。

 わけても少年が好きだったのは、過去に行くことだった。未来を待ちながら、少年は過去のありとあらゆる場所をみた。

 自分が生きていた場所を見た。エンジュが生きていた場所を見た。ラケルタが生まれた場所を見た。

 少しだけ過去に行って、何も知らずに、予想もつかないところから訪れる胸の高鳴りだけを心待ちにしていたころの自分を見た。

 自分とイヴが待っているアカデミアの広場に、授業が長引いたラケルタとアイバンが走ってくる。屋台でチュロスを買って、お下げ髪にビン底眼鏡をした彼女の瞳の色は、見えない。でも、その眼鏡の奥に、星空の瞳はあった。

 サイレは歌う。

 彼女のための歌。星降る庭の、運命のすべてが満ちた場所の歌を。かつて自分たちが、いちばん長くおしゃべりしたときの物語を。

 いつかまた、自分たちはきっと出会い、話すのだろう。尽きせぬ物語、星々の庭の歌を。

 絶えず循環をつづける大地は、やがて広い草原のうえにふたたび人類が足を下ろすことを許すだろう。いつの日か、裸足で舞う彼女に、また会える日がくるだろう。

 彼女の最初のひと言は、決まっている。

 

 あなた は だれ?

 ——あなたは誰? ……

 

 答えよう。

 ずっと、きみを待っていたよ、と。

 きみを待つ時間は、さびしくて——幸福だったと。

(終わり)

 

Fin. 2017.8.31

Last modified: 2019.8.30

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