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​精 霊

第一部 プリエスカ・理学院編

第10話「秘密」(3)

 ただ一人、セージは冷静だった。

 彼女のあずかり知らぬうちにこの場に闖入していた同級生たちを見るにつけ、目をみひらいたものの、

「場所を変えないか?」

 という平坦なひと声で、少年たちを我に返らせた。

 私たちの部屋へ行こう、というセージの誘いを受けて、三人は誰からともなく歩きだす。ユリスとアマンダが先んじ、セージとシフルはあとからついていった。

(ラーガが気にしてたのは、セージじゃなかったんだ。それなのに、オレが早とちりして)

 もしも、あの勘ちがいがなかったなら、二人が近づいてきた時点で話を終わらせ、すみやかにラーガを帰してごまかすことができた。けれど、ユリスの態度からするに、もう決定的な部分を聞いてしまったのだろう。時間を止める存在《時姫》のこと、彼女がシフルに近しい者であること。彼女が《母》であることもわかったかもしれない。

 何より問題なのは、シフルが《時姫》を使役できると示唆したこと。さらには、青い妖精に対するシフルの立場が、より強い、もしくは少なくとも同等だと知られたこと。それにより、シフルが選抜通過にいたった力が何なのか、二人に確信させただろうこと。

 アマンダもユリスも、このごろ六級精霊を召喚できるようになった。しかし、シフルはすでに五級に成功しているばかりでなく、妖精をも従えている。彼が元素精霊長だということについては、さすがに判断材料を与えてはいないが、妖精の存在だけで充分だ——二人を脅かすのには。

 シフル自身がラーガを自分の力とは思っていなくても、世間的にはそうである。アマンダもユリスも、これまで以上に痛感するだろう。シフルのそばにいる限り、劣等感から逃れられないと。

 アマンダは、普段は明るくほがらかな少女だけれど、ときおり優等生然とした強い自負心をみせる。ユリスは人のよさのほうが勝るが、理学院に入学してAクラスまで昇りつめた者が、自負心と無縁のはずがない。自負心とは、痛むものだ。自分より上を行く者との出会いによって。

(できれば、知られたくなかった)

 女子二人の部屋のドアを閉めながら、シフルは思う。

 Aクラスで孤立する、セージとルッツ。セージについては例の一件もあるのだろうが、ルッツはメイシュナーとしょっちゅう衝突する以外には、特に問題は起こしていない。それなのに彼が学生たちから避けられ、またルッツ自身も近づく者を毒舌で退けるのは、やはり実力の差が原因だろうか。自信を砕かれたくない者たちと、へたに期待して裏切られたり傷つけられたりしたくない者と。

 そういえば、いつだったかセージが予言したことがあった。

 ——おまえも近いうち、私たちと同じになるよ。

 と。

 精霊王の呪いの件があったから、忘却の彼方だったけれど、確かに予言は成就したのかもしれない。

「それで」

 シフルは口を切った。「どこまで聞いたんだ?」

 アマンダは、ベッドに腰かけてうつむいている。そのかたわらに立つユリスは、口にするのをためらうように、顔をあげ、また伏せた。

「時姫……って人が、シフルに会いたがってるって……。それと、あの妖精の器の母親がその人で、名前はベアトリチェ・リーマン。春休みに、シフルは彼女に会いに行く」

 ベアトリチェ・リーマンが誰なのかは、ユリスは知らないらしかった。もっとも、シフルも精霊王の呪いがなければ、彼女の名を見いだすこともなかったろうが。

 アマンダは申しわけなさそうに少年を見た。もう、夕方の不調からは回復したらしく、それだけは少しほっとした。

「時姫(ときのひめ)って人が、シフルにとってすごく重要な人みたいって。それとシフル、あの試験でカウニッツさんに勝ったよね? それなのに《若人》にならなかったから、ちょっとおかしいなって思ってたんだけど、今日あの妖精さんを見てわかった……」

 彼女はいったんそこで息をつき、言い放つ。「あの妖精さん、さっき言ってた空(スーニャ)って属性の精霊で——あの人がシフルを助けたんだって……! シフルが《若人》にならなかったのは、四大精霊にはない属性の精霊だから。前にシフルがクーヴェル・ラーガの色をした妖精さんに会ったって言ってた、あの妖精さんなんでしょう?」

 シフルはこめかみを押さえ、嘆息した。彼らは同じAクラス生、ばかではない。

 ——おまえには、恐れるものなどなさそうだ。

 シフルは部屋の隅にたたずむセージを見た。

 ——私とドロテーアが恐れるものは同じだ。おまえたちもかつて同じだったろうに、この学院に来て変わったんだよ。しょせんみんな同じなんだ。でも、状況次第で変わる。忘れただけだ。

 いつかの、彼女の言葉。シフルはあのとき、おまえたちにだって、オレたちの恐れるものはわからない、と反駁したのだった。けれど今、シフルは彼女たちと同じ立場にある。

(本当だ。……怖いな)

 アマンダが、ユリスが、どんな表情になるか。どんな言葉を口にするか。一瞬一瞬が怖い。

「俺、このこと、誰にも言う気ない!」

 ユリスが叫んだ。「絶対に。誓うよ、シフル」

「うん……」

 壁時計に目をやると、すでに十一時をまわっていた。これ以上は、明日の授業に支障をきたす。「そうしてくれると助かる。アマンダも、悪いけどそうしてくれる? 他のやつに知られたら大変だからさ」

 夕方はごめん、と言い残し、シフルは部屋を出ようとした。知られてしまった以上、なかったことにはできない。覆水盆に返らず、とはこのことだ。知られてはいけない秘密を抱えながら、少し不注意すぎた。

 が、

「ちょっと待った、シフル」

 と、セージが制止した。「まだ話は終わっていない。シフル、何かいいたいこと、あるでしょう? この二人に聞く義務はないけど、そうするだけの誠実さと友情は持ちあわせてる。ちがう?」

 彼女は、まっすぐなまなざしを、ユリスとアマンダに向けた。

 瞬間、二人は固まった。

 以前のセージの挙動からは想像できない言葉だったからだろう。改めてシフルは、最近になって降ってわいたような彼女の誠実と友情に、新鮮な驚きを感じた。そして、彼女の強いまなざしと言葉に、からだの中で眠っていたものを揺り起こされる心地がした。

 彼女の態度に触発されたのはシフル自身だけではなく、

「……ちがわない」

 対抗するように断言して、少女が立ちあがった。「ちがわない!」

「アマンダ?」

「シフル、何がイヤなの? 誓うだけじゃ不満なら、言って!」

 アマンダはシフルに詰め寄る。

「いや、イヤっていうか——」

「ていうか、じゃないよ! 私のこと、そんなに信用できない? そりゃあ、シフルのもっているもの、私だって欲しいよ! だけど、そんなの、どうしようもないんだから!」

 彼女はシフルの胸ぐらにつかみかかった。「誓い以外に欲しいものがあるなら、あげる。だから——!」

 だから、ともう一度つぶやいて、アマンダは絶句する。少し間をおいて、視線をさまよわせはじめた。言葉を見失ったように。

 その様子は、彼女が夕方、急におかしくなったことを彷佛とさせた。明るかった彼女がとたんにうろたえてしまい、どうすることもできずに立ち尽くす。

「アマンダ……?」

 ユリスが困惑気味に彼女を呼ぶ。

「……三人とも」

 ため息ひとつとともに、声をあげたのはセージだった。「夜も更けたことだし、ひとつ提案がある」

 アマンダが助けを求めるように振り向いた。

「聞いてくれるかな」

 そこで、セージは静かに深呼吸した。「私は、以前ある男を殺しかけたよ」

 セージは、まるであいさつでもするかのようにさらりと言った。

 けれど、彼女の話に耳を傾けていた者たちにとっては、軽く聞き流せる類いの話題ではなかった。ただでさえ緊張していた部屋の空気が、凍りつく。

 シフルは眉をひそめた。

「その話ならよく噂を聞くけど、いま関係あるのか?」

「ないよ。直接は」

 と、セージは返す。

「だけど、私はいきがかり上、シフルの重大な秘密を知りすぎた。だから、こっちも秘密を暴露したうえで同等になりたいと、前々から思っていたんだ。これはいい機会だよ。要は——」

 彼女は腰に手をもってくる。「——四人で秘密を共有しよう、と提案する」

 どうか? 彼女の声は、静かな部屋に響き渡った。

(……同等)

 それは甘美な言葉だった。シフルが求めていたものも、きっとそれなのだ。欲しいのは、誓いではなく、秘密を守るための担保。アマンダのいうとおり、二人を信用していないということで、シフルはそう気づいて愕然とした。

 だから、

「そんなことしないでいいよ」

 と、シフルは告げる。「悪いじゃん、そんなの。だいたい、わざわざいやな思いしてまで同等になる必要もないし」

「あるよ」

 セージは即答した。

「なに?」

「同等になりたいからなるんだ」

 答えになっていない。

「……ま、オレが決めることじゃないな」

「そう。私が決めることだよ。あと、そっちの二人もね」

 セージが切り返すと、二人はぴくりと反応した。

 彼女は待つ。二人が自ら語りはじめるのを。二人は決めかねているのか、だんまりを決めこんでいるのか、うつむいたままだった。

 セージは告白を強要したわけではなかったが、彼女の雰囲気には有無をいわさぬものがある。一方のシフルは、あまり期待はしていない。これまでに、ルッツやセージに対する二人の態度を見てきた。シフルと二人は友達だけれど、つきあいは短く、これが逆の立場だったら、その場しのぎの言葉をかけるだけだろう。いやなことは、口にしないに限る。

 ところが、彼女は待ちつづけている。彼ら二人が「同じ」になろうとするのを。シフルの特殊な事情とセージの消し去りたい過去を、不可抗力ながら知ってしまった以上、彼らも告白すべきなのだと。

(めちゃくちゃだな……)

 シフルは内心ひとりごちた。(自分の意思でやったことに、二人を巻きこもうってんだから、迷惑な話だよ)

 セージがシフルのためにやってくれているのだとしても、それは事実だ。彼女の気持ちはうれしかったけれど、誰かのために自分の弱みをさらすなんて、普通はしない。

「ま、言えないならしょうがないよ」

 正直、この状態を続けたくなかった。シフルには、セージがそうした気づかいをみせてくれただけで充分だった。彼女の「同等になりたいからなるんだ」という言葉だけで。

「とにかく、他のやつには黙っててくれよな? 何しろ、空(スーニャ)なんて元素は、存在しないことになってた。時もそうだ」

 そうして、ドアに近寄る。ドアノブをまわしてから、いったん手を止めてセージに向き直った。

「ありがとな、セージ」

「……ん」

 セージは残念そうにシフルを送りだした。それを目の端にとらえつつ、少年はドアを引く。

「——ちょっと待てよ! そりゃあまりにもせっかちだろ!」

 シフルを止めたのは、ユリスだった。「考える時間もくれないのかよ」

「くれてやったじゃん。もう充分だろ?」

 シフルは肩をすくめた。

「だってさあ、誰だって知られたくないことあるって! 秘密にしてるのは知られたくないからで、言いたくないからじゃん? それを話す決心つけろって言われたって、そう簡単にはいかないって。もうちょっと待ってくれよ」

「だから、言えないなら言わなくていいんだよ。言ったからどうなるってもんじゃないからな。何の得にもならないよ」

 シフルはわざとつっぱねた。ユリスが何を望んでいるのかわかった気がしたけれど、それにすがるのは情けないことのような気もした。

「ううん! 得になるよ!」

 そこで腰をあげ、シフルの眼を熱っぽくのぞきこんできたのはアマンダだ。「私たち、もっともっと仲よくなれるんだよ! だって、いつもシフルは私たちに何か隠してて、だから私たちのあいだには壁があったもの。私たちが秘密を言ったら、その壁をとっぱらうことができるんでしょ?」

 シフルは驚いて、アマンダを見た。そういえば彼女は、好意をぶつけることも好意を拒否されることも恐れず、ためらうことも知らない。しかし、

「でも、私……」

 恥ずかしい発言を平気でしたわりに、そう言うや、顔を真っ赤にして目を逸らしてしまった。それでも秘密は口にできないらしい。好意を口に出すのは躊躇しなくても、本当の自分をさらけだすのはいやなようだ。シフルはわずかに失望を覚えたが、こんなものだとも思った。どうせアマンダたちとは、クラスが分かれるまでの仲、あるいはプリエスカにいる期間だけの仲だ。留学で学院を去れば、自然と消滅する。

(そうだ、これ以上求めてもしょうがない。これだけ言ってくれたんだから、もういいじゃないか)

 シフルは微笑む。——ありがとう、もういいよ。

 アマンダは、虚をつかれたような顔をした。日ごろは明るい水色の瞳が、揺れる。

「いいよ、俺は、言う!」

 突然ユリスが叫んだ。シフルは眼をみひらいた。

「俺は、……俺がここの入学試験を受けたとき、……前の学校でもてはやされてきたってのに国語がさっぱりわかんなくって焦って、俺に期待してたやつらのこと考えたら落ちるのが怖くて、……思わず隣のやつの解答を写してたッ!」

 一気に言い切ったあとで、いきなりユリスは顔を背けた。シフルは息を呑む。

「Aに上がるまで三年もかかったのは当たり前だよ。もともとオレは入学レベルにも達してなかったんだから」

「……でも!」

 シフルはとっさにフォローした。「でも、ここまで来れたじゃん。ユリスの実力だよ」

「うん……」

 ユリスは弱々しく目を細める。シフルは、さっきまでの自分はこんな顔をしていたのだろうか、と思った。ユリスが恐れたのは、きっと、軽蔑されること。人が秘密をつくるのは、怖いからかもしれない。

 セージは、ユリスの告白を非難するでもなくうなずき、今度はアマンダに目をやった。そのアマンダはといえば、赤い顔をしたまま貝のように口を閉ざしている。

「それじゃあ、私も補足しておこうかな」

 セージはアマンダに猶予を与えた。

「男を殺しそうになったのは事故だ。だけど、あのとき私があの男に強い殺意を覚えたのは事実だし、たとえ本当に殺してしまったとしても、保身の意味以外に悔いはなかっただろう」

 彼女は淡々と述べる。「男は、私が初級(エレメンタリー)クラスのときの同級生で、別に知りあいでもなんでもない。私がDクラス昇級を決めた試験で、彼は退学が決まった。それで、やけになったのか、私を……」

 声を震わせる。そのあとは続かなかった。けれど、三人は理解した。彼女がどんな目に遭わされたのかも、彼女が他人の誘いをかたくなに拒絶する理由も、表情や言動が硬い理由も。三人は、これには何のフォローもできなかった。シフルは何か声をかけようとしたが、何をいえば慰めになるのか、見当がつかなかった。だから、

「ああ、でも、未遂だけどね」

 と、セージがそう付け足したときには、ほんとうに安堵した。

 が、彼女が補足したおかげで、場の空気はますます重いものになった。ぐうぜん秘密を知られて焦っていたシフルも、今は他人の秘密というものの驚くべき重さに辟易している。また、それをいちばん痛切に感じているのはアマンダだろう。今や、彼女だけが異物なのだ。

「私——」

 アマンダはついに、意を決したように顔をあげた。ますます顔を赤らめ、思いきり顔を逸らしたかと思うと、再び三人を振り返った。

「——ごめんなさい……!」

「は?」

 シフルにユリス、果てはセージまでもが、そうつぶやいて目をしばたいた。なぜここで謝罪する。

 しかし、ひとり興奮しきりのアマンダの口からほとばしりでた言葉は、彼らの予測の限界を越えていた。

「あの……あのね、さっきからずっと考えてたんだけどね?」

 頬の赤みが、徐々に顔中にひろがっていく。「……っ、笑わないで! 笑わないでよ? 約束してねッ?」

 アマンダは両手をベッドに叩きつける。その剣幕に呑まれて、三人は首を縦に振った。アマンダはそれを執拗に確認し、口を開く。

「私、シフルやユリスやロズウェルさんみたいな深刻な秘密なんて何もない!」

 ひと息のもとに告白し、そのままベッドに顔をうずめる。「だけど、だけどねッ? 私だってただお気楽に生きてるわけじゃないのよ? いろいろあるんだよ? でも、人にいえないことなんてひとつも……」

 くぐもった声で必死に訴え、顔をあげると、まったく反応を返さない三人を見た。

 と、彼女の目に涙が浮かぶ。

「呆れてる……! 呆れてるのね! それで、秘密のない私は仲間はずれなのねッ? それは絶対イヤっ。さみしい! ——秘密ないけどその代わり、秘密できたら真っ先に教えるから、だからお願い、」

 アマンダはいよいよ本格的に泣きだした。三人は、彼女が切実であることにようやく気づく。

「仲間はずれにしないで! お願いよ!」

 彼女はベッドに突っ伏して泣き叫んだ。三人はあわてて駆け寄った。狼狽しているアマンダをなだめるべく、頭を撫でてやる。

「大丈夫だよ! 仲間はずれになんてしないって」

「そうそう、アマンダは仲間だよ」

「ほらほら、泣かない泣かない。仲間はずれになんかしないからね?」

 苦笑しながら三人は、彼女がこうして雰囲気を変える前、どれほど自分たちは気まずかっただろうと思った。息もできないほどに緊張した空間を、彼女がいとも簡単に変えたのだ。しかも、全員の口から恥ずかしくも望ましい言葉を引きだして。

 シフルは、セージとユリスと顔を見合わせた。目が合うとセージはかすかに笑ってみせ、ユリスは決まり悪そうに口の端をあげた。

 仲間という言葉。この三人のなかで、平然と口にできる者はなかった。口にしてしまうと、妙に気恥ずかしかった。

 けれど、

 ——ちがうの! シフルは何も悪くない、私が、——

 私が。……

 シフルの脳裏には、夕日を背にして取り乱すアマンダの像が映っている。あれは本当に、シフルやユリスが男だったからいえない、そんな話題だったのだろうか? それなら、あのときアマンダの顔に差したかげりの、あの昏さは何だというのだろう。

 ——いやなことは、口にしないに限る。

 自分で思ったことが、少年の喉に引っかかったまま、いつまでも消えなかった。

​To be continued.

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