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​精 霊

第一部 プリエスカ・理学院編

第10話「秘密」(4)

「水(アイン)、汝は、我らを潤し我らを生かす精霊——」

 ここは、グレナディン大聖堂。

 四大元素精霊をかたどった、元素精霊教会の象徴——セスタ・ガラティア《四つの力》を背にたたずむセージは、濃緑色のローブに身を包んでいた。光沢のある布地にはところどころ宝石が散らしてあり、きらきらと光をはね返している。

「願わくば、汝の流れの永遠(とこしえ)にあらんことを。汝なくしては、我らは滅ぶのみ」

 反射するのは燭台の明かり、それに水(アイン)の光である。水(アイン)の青と燭台の橙が混じりあって彼女を包む光景は、見る者に溜め息をつかさずにおかない。

「……切に、我は汝を讃えよう」

 そして、彼女は顔をあげる。黒目がちの瞳にふた色の光が映りこんで、微妙な色彩をかもしだしていた。とはいえ、それは儚げな色彩ではない。彼女の内にある確固たる自信の光は、その曖昧な色彩をもってしても隠すことができなかった。

「んもうっセージかっこよすぎ! 惚れちゃうよ!」

 礼拝が終わって廊下に出るや、アマンダがはしゃいだ声で言う。

「ありがとう、アマンダ」

 優しく答えて、セージは微笑んだ。その笑みは柔和で、少し前なら、彼女という人にはみられない表情だった。

 次にセージは、にっと口角をあげ、

「で、シフルとユリスは何かご感想はないわけ?」

 と、冗談めかして切り返す。振り向いた先に、二人はいた。

「おきれいでしたよー」

 ユリスは歯をみせ、揉み手してみせる。シフルはユリスの返答に迎合して、こくこくと頭を縦に振った。セージは満足そうに目を細めると、すぐにアマンダと二人、談笑しはじめる。傍目には、よくいる友達同士にしか見えない。

 まるで普通の女の子だ——シフルはとっさにそう感じて、覚えず苦笑した。まさしく、そうなんじゃないか。情けないことに、少年はまだまだ新しい状況に慣れない。

 あの一件があってから、シフルたちの関係は変化した。少年がセージの故郷を訪れて、彼女のもうひとつの側面に出会い、急に友達らしくなれたように、秘密を打ち明けあった四人もまた歩み寄った。互いに秘密を握りあっていることがそうさせるのだとしたら、よくよく考えればあまりいいことではない。でも、少なくとも四人の距離が狭まったのはまちがいなかった。

 目をみはるべきは、セージの変化である。秋休みのあと、シフルとは仲よくなれたものの、他の学生に対しては例の冷淡ぶりだった彼女。けれど、あの一件以来、ユリスやアマンダともしゃべるようになった。最初にセージがにこやかに話したとき、ユリスとアマンダの目は一瞬点になっていたものの、しばらく経つと三人は普通にやりとりしていた。

 今では、セージとアマンダは内緒話もする仲だ。以前はありえなかった話も、現実に目の前で繰り広げられれば信じるほかない。ほがらかに笑いあって前を歩く二人を、シフルとユリスはまぶしく眺めやっている。それは、二人の魅力というのもないではないが、新鮮なものに対する態度というべきだろう。

「私もいつか、セージと一緒に《若人》やりたいなー」

「できるかもよ」

 セージは前向きに肯定した。「カウニッツがいなくなって、《火(サライ)を讃える若人》は五級になった。あれは狙うしかないね」

「よーし。私も水(アイン)に集中するのやめて、火(サライ)にしよう!」

「えっ」

 アマンダの決意に、シフルはあわてて口を挿む。「火(サライ)の《若人》はオレが狙ってるの! アマンダは手を出すなよ」

 そんなこといわれる筋合いないもーん、とアマンダは愛らしく頬を膨らませる。それを見たユリスがしびれているのはさておき、シフルは、じゃあ競争だ、とアマンダに言い放った。受けてたつよ、と彼女は胸を反らす。二人は拳をぶつけあって、正々堂々戦うことを誓いあった。

「シフルが留学してるあいだに、《若人》はもらっちゃうよ!」

 アマンダはふふんと口の端をあげる。

「オレだって留学で成長するぜー?」

 シフルはそれを真似てにやりと笑った。すると、ユリスが二人のあいだに首をつっこみ、手を振りあげて存在を主張した。

「俺も混ぜて、俺も!」

「主体性ねーな、ユリス」

 飛び交う軽口。こぼれる笑みと笑み。

 でも、

 ——怖いって、思ってたはずなのに。

 彼らと一緒にいるとき、シフルはふと冷静になることがある。

 アマンダやユリスが、ラーガの力を操る自分を避けるかもしれない、と思っていたはずなのに、二人はそうはしなかった。心の中では葛藤があるのかもしれないけれど、今もシフルと一緒にいてくれる。しかも、あの一件があってからは、シフルだけでなくセージまで受け入れてしまった。《召喚学部最後の天才》にして《水(アイン)を讃える若人》、さらにはシフルとともに留学メンバーに名をつらねる彼女を。

 以前、二人と彼女が衝突したのを覚えている。あのときは確かに、彼女と二人とは決して相容れないのだと、そして自分は彼女の側の人間にちがいないと思った。が、今こうして一緒に笑いあっていると、妙に楽観的になってしまう。

(怖いとか、そういうのがあったとしても)

 と、シフルはひとりごちた。(——オレたちは、友達になれる四人だった)

 ばかみたいだと思う。ちっとも理屈になっていない。秘密を打ち明けあったことが効を奏したと考えるほうが、むしろ因果関係ははっきりしてくるというのに。

 ——でも。

「まずは四級火(サライ)を呼べるようにならないとね」

 セージの楽しげな声。

「よーし! セージ、こつ教えて」

 アマンダの晴れやかな笑顔。

「俺も俺もー!」

 ユリスは意気揚々と拳を振りあげ、

「だから何やりたいんだよ、おまえ」

 シフルもまた、苦笑しながら合の手をうつ。セージとアマンダは、弾けるような笑い声をあげた。

 

 

 ——こうやって、ずっとみんなでいられたら。……

 

 

「シフル?」

 セージが廊下の端で呼んでいる。ふと気づけば、シフルはひとり、通路の中央にたたずんでいた。あわてて三人に追いつくと、彼らは笑って少年を迎えた。

 微笑み返した少年と、穏やかな表情の三人は、並んで廊下を歩いていく。

 

 

 夜、特別カリキュラムの授業が終わったあとで、シフルは尋ねた。

「セージはさ」

「うん?」

 声をかけると、セージは首を傾げ、少年の眼をみつめた。夜道には少年と彼女、ふたりの影しかない。

「どうしてあのとき、オレと同等になろうとしたんだ?」

「またその質問?」

 言いながら、うんざりしたふうでもなく彼女は首を反対側に傾けた。「そうしたかったからね」

「そうやってはぐらかすから気になるんじゃんか」

 シフルは鼻を鳴らす。セージはくすくすと笑い、手を口もとにあてた。

「そうだね。世の中、シフルが知ってることばかりじゃないから、そのなかに私の行動の理由が隠れてるのかもよ」

「つまりだ、オレは身勝手な見方でセージを測っていると、そういいたい? オレは、自分の偏った見解でセージを知ったつもりになったあげく、その見解をもとに想像して、あのときのセージは理解不能だと思っているんだって。だけど、本当のセージは、オレには計り知れない部分をもっていて、その部分があんたをあの行動に駆りたてた、と?」

 シフルはむっとして言った。要するに、シフルはセージを知らない、ということだ。知らないでものをいうな、と。セージは微笑する。

「そのとおりだよ」

「ごもっともで」

 シフルはそっぽを向く。「……それにしても、《若人》役か。オレがなるとしたら、火(サライ)四級になるわけで、オレの限界ギリギリなんだよな。呼べるようになるかな?」

 少年はぽつりとつぶやいた。

「きっとできるよ」

 セージはシフルをのぞきこんだ。昼間、アマンダにいったときよりも、いっそう確信のあるまなざし。「だってシフルは、火(サライ)に愛されているんだから」

「そうだけど……」

 シフルは眉をひそめた。

 彼女の言葉に異議があるわけではない。どうもひっかかるのだ。

(オレ、セージに教えたっけ?)

 そのとき、シフルの脳裏にある疑念が生じた。

 

 

 階段を、跳ぶように駆けのぼる。途中つまずきかけたが、なんとか地面に頭突きをくらわさずにすんだ。果てが近づくと、手すりのむこうから水平線が見えてくる。あたりはまだ明るく、水面はうす赤く色づいている。

 翌日の夕暮れ時、シフルがやってきたのは、久しぶりの展望台だった。最近はユリスたちと行動をともにすることが多くなって、ほとんど単独行動をとっていなかったのだ。基本が単独行動にあるシフルには、集団行動は楽しくもあったが窮屈でもある。大いに伸びをして、肩を鳴らした。

 もちろん、ゼッツェ持参である。懲りずに練習不足の日々だから、さぞかし酸欠がひどかろう。シフルは息を吸いこむ。まずはすべての穴を開放したまま、息を吹きこんだ。そうして楽器をあたためてから、シフルは曲選びに入る。

 本日最初の曲は流行歌だ。といっても、数十年前の流行歌である。以前、ダナン家でも古株の女中がよく口ずさんでいたから、流行ったのはちょうど父母の青春時代ではなかろうか。幼い頃しょっちゅう耳にしていたせいか、ときおり間欠泉のようにシフルの唇をついて出る。

 歌詞を思いだしつつ、音階を決める穴を押さえていく。ゼッツェに集中する。やがて音楽に溺れていく。ゼッツェの音色が、恋愛の歌をより悲劇的に奏でた。いまだ幼稚さの残るシフルには、悲劇的というよりは喜劇的に思えるのだが。

 気づいたとき、光が散っていた。今日も来てくれたらしい。——赤い光、火(サライ)の眷属たち。

 シフルはゼッツェを吹く手を止めない。これが火(サライ)への答えであり、自分の想いの発露なのだ。曲が進めば進むほど、集まった火(サライ)の愛慕がつのっていく。赤い光が膨らんでいく。夕日に照らされてもなお、かすむことのない光だった。火(サライ)の元素精霊長が戯れに創造したとされる太陽と、シフルを慕って光を放つ火(サライ)たちでは、同じ赤の光でも種類が異なる。

 ところが、突然、シフルを取り囲んでいた光が表情を変えた。それまで赤一色だったのが、急に青みを帯びはじめたのだ。

(なんだ……?)

 シフルの見ている前で、徐々に青の領域がひろがっていった。そのまま完全に混ざりあって紫色となり、シフルを包みこんだ。そして、曲にはいつの間にか伴奏が加わっていた。伴奏とはいっても、ピアノなどでにぎやかに添えられるのではなく、シフルと同じ楽器、ひとつの旋律のみでの伴奏である。

 ——《彼》だ!

 シフルがゼッツェを吹いていると、必ず低声部か伴奏として乱入してくる《彼》。《彼》は、姿を現したことはないが、シフルのほうは一方的に友情を抱いていた。いつか顔を向かいあわせてゼッツェを吹きたいと願っていた相手。

(青い光——やっぱり……)

 シフルはゼッツェを奏でながら、頭のなかで状況を整理した。

 第一の疑念は、秋休みが終わる一週間前に《彼》が姿を現したこと。

 第二の疑念は、シフルが火(サライ)に愛される者だと知っていたこと。

 第三の疑念——《彼》はゼッツェを吹いて青い光を降らせる。

《彼》は、「彼」ではないのかもしれない。

 推測は、いつしか確信となった。シフルは曲が終わると、呆然と立ち尽くす。はっと気づいて、せわしなく辺りを見まわした。目に入る場所に《彼》はいない。

 その名を口にするのは、ひどくためらわれた。仮にこの予測を裏切られたら、自分はがっかりしてしまうかもしれない。失望とともに本当の《彼》と出会ってしまったら、これまでの《彼》との交流にけちがつく。

 けれど、ここで呼ばなければ、《彼》とふたり同じ場所に立ってゼッツェを演奏する日は、永遠にこないかもしれない。

 少年は、言わずにはいられなかった。おそるおそる口をひらいて、

「……セージ?」

 その名を、呼んだ。

​To be continued.

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