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​メテオ・ガーデン

04. 変わりゆく世界<1>

〈だめだ、エンジュ! だめだ、離れて!〉

 聞き覚えのある声にふと顔をあげたサイレは、ショッピングモールの各所に設置された街頭モニタの中で叫ぶ自分を発見し、その場で固まった。

「サイレ君、あれ」

 彼女が指さしたほうをみると、高層ファッションビルの最上部にとりつけられた巨大なモニタにも、地上のモニタと同じ映像が流れていた。

 彼女と街を歩いていたら、突然、まわりじゅうの街頭モニタに映された、必死きわまりない自分の姿に包囲されたのだ。当然、街行く人々も、モニタを見て、それからすぐ近くにいる本人を見て、お! とか、あ! とかいう声をあげている。

「サイレ君があんなふうに一生懸命になるの、初めて見る。歌ってるときだって、あんなに一生懸命じゃない。サイレ君っぽくない」

 相槌をうちながら、サイレはつないだ手を引いていた。彼女はいつも手をつなぎたがる。

「エンジュさん? かわいいね。あのひとが現実にはいないっていうのが、嘘みたい。モリソン教授の説? あのひとが今も世界のどこかにいるっていう? 本当だったら、すごいね」

「うん」

「ねえあれ! サイレ・コリンズワースじゃない?」

 ショッピングモールはそれなりの人ごみだったから、モニタ内で叫ぶ人物はすぐ人目についた。

「サイレ君よ!」

「サイレ君、エンジュさんに会えるといいね」

 ニュースはあんまりなんでもかんでも流しすぎだとサイレは思った。

 これはおそらく叔父のせいで、世論を味方につけて一気に叔父が狙う実験の実現にもっていけるよう計らったのだろう。ありとあらゆるニュースが、サイレの「時空を隔てた恋」と、それには解決法があるということを流していた。

「……あ、今日からまた練習出るから。あまり放課後ゆっくりつきあえなくなる」

「そう……団長さんには許してもらえた?」

「いや」

〈オペラ〉の前にたどりつくと、人だかりができている。

「サイレ・コリンズワースが来た!」

 カメラやマイクをもった人々が、サイレに殺到する。「サイレ君、トリゴナルの運命とサイレ君の恋がかかっている今、どんなお気持ちですか?」

「サイレ君の彼女さんですか? エンジュさんのこと、どう思われますか? サイレ君は、彼女とエンジュさんのどちらが」

「サイレぇー! よくも来やがったな!」

 扉を勢いよく開け放ち、ギルヴィエラが出てきた。サイレは彼女の手から自分の手を抜いた。

「団長。歌ってもいいですかね」

「さっさと入れ。——ああ、みなさん」

 ギルヴィエラは、日ごろ両側に下がりっぱなしの口角を、強いてもちあげ、

「見学者は大歓迎ですよ! カメラもオーケイです。どうぞ」

「気持ち悪っ」

「あとでね、サイレ君」

 彼女に軽く手を振り、練習着に替えてリハーサル室に入ると、室内はマスコミの人々でごったがえしていた。壁という壁が人間とカメラとマイク類で埋め尽くされており、本番の座席よりも人が多いぐらいだった。

「サイレ、大丈夫?」

 ストレッチを始めたサイレの背を、何もいっていないのにラケルタが押した。「市長もアカデミアも、どんどんマスコミを入れるようにって。もう歌えそうなの?」

「歌いたいんだ」

「エンジュのため?」

 顔をあげると、そこにはラケルタの瓶底メガネ。高性能のマイクが音声を拾おうと周囲をうろついていたので、ラケルタはごく小さい声で言った。

「もし……エンジュに会えたら」

「会えたら?」

「歌を聞かせたい」

「会えるわけないわ、サイレ。過去は過去よ。浮かれないで。現実をみて」

「ありがとう、ラケルタ」

 ラケルタはサイレをほんとうに心配しているからこそ言っている。そういう子だ。

「でも、おれが浮かれているのを、団長は喜ぶと思う」

「それとこれとは別」

 ストレッチを終えて、ラケルタはサイレにドリンクを手渡した。ひと口だけ飲んで返すと、ラケルタは離れていった。ぱぁん、とギルヴィエラが手を鳴らす。

「始めるぞ。見学者の方はお静かに」

 コレペティートルがグランドピアノの椅子に座り、発声練習が始まる。パート別の声出し、合唱部分のハーモニーの確認。

「第一幕、第一場!」

「はい!」

 サイレの心臓が「うごいて」いる。歌をうたうまえに心臓が気になるなんて、久しぶりのことだった。

(エンジュが聴いているかもしれない)

 そう思うと、心臓は否応なしに高鳴る。

 もしも、叔父のいうとおり——〈平行世界〉が自分の立っているすぐとなりに存在するとしたら、の話なのだけれど。

(見えていないだけで、実はエンジュがそこで歌に耳を傾けてくれるとしたら)

 ピアノの旋律が、走りだす。サイレも、弾む足どりで駆け出る。わっ、と聴衆から拍手が起こった。ギルヴィエラがもう少しで舌打ちしかねない目つきでにらみつけると、人々はあわてて黙る。

〈小夜啼鳥が眠る朝に、あたしは歌う。ぼくはここだよ。ここにいるよ〉

 美しいピアニッシモが、細く、長く、響く。〈ここに、いるのに……〉

 まるで、ため息のように。けれど、ため息とはちがい、その音のはじまりから終わりまで神経を行き渡らせる。

「——は?」

 それは、ギルヴィエラのひとり言だったのかもしれない。元歌手で訓練されたからだをもつギルヴィエラのひとり言は、リハーサル室に響きわたった。取材陣も固唾をのんだ。

「いやっ……その」

 自分のつぶやきが聞きとられるとは思ってもいなかったか、ギルヴィエラは珍しくうろたえた。だが、しげしげと自分を見ているサイレに気づくと、何かが蘇ってきたようで、次の瞬間、

「……バッカ野郎! なんで最初からそう歌わないんだよ!」

 という怒号が、室内に反響した。「ちゃんと毎日練習来いってんだ! もう本番まで二か月ないんだぞ!」

 ギルヴィエラを知らない取材陣は、彼女の怒りを理解できずに目を見合わせていたが、日ごろギルヴィエラをみている団員にはわかる。これは、ギルヴィエラの最大級の賛辞だ。

「サイレぇ! やったー!」

 イヴが勢いよく拍手しはじめたのを皮切りに、その場は拍手の渦につつまれた。

 その日のうちに、この〈オペラ〉でのできごとが、さまざまに話を盛られたうえ、あちこちで流されたことは言うまでもない。

 古代の少女への恋心が、少年の〈奇跡のボーイソプラノ〉をさらに磨きあげたという物語と、メモリアの解析が最新技術と結びつくことで恋する少女に対面できるかもしれないという物語。さらに、それによって全人類が〈毒の海〉から救われるかもしれないという物語。三つの物語が絡まりあって拡散され、人々を得体のしれない感情の渦に巻きこんだ。

 たった三日、つまり三夜しか行われないサイレたち〈カンパニエ〉の公演は、サイレの物語が各トリゴナルに流布された直後、チケット販売システムがダウンするほどの騒ぎとなり、チケットはあっというまに売り切れた。普段はいくらクラシック情報マガジンでとりあげられたとはいっても、団員全員にチケットノルマが課されるのだが、騒ぎのおかげでノルマ解消に走りまわる必要がなくなり、団員たちは大喜びだった。

 しかし、ことは大事になりすぎ、無邪気に喜んでいられたのは最初だけだった。あまりの人気ぶりに、やがて端役の団員までマスコミに追いまわされるようになり、団員の一挙一動がトリゴナル社会に見張られているに等しい事態になった。一度、猫をかぶるのに飽きたギルヴィエラがマスコミに叩かれたが、それでも終息しなかった。

 それは、叔父が提唱した実験が実際に行われ、サイレがエンジュと出会うまでは、決して終わらないことは明白だった。

 ——叔父が新しい論文で着目したのは、二回の現象である。

 エンジュの危地に、サイレは二度叫んだ。エンジュはその声を聞いて行動したかのようだった。エンジュはメサウィラ兵三人を倒し、マリオンの凶刃をかわした。メモリアの適合者であるサイレにも、それを観察していたラボ側のメンバーにも、そう見えた。

 星〈メモリア〉は、生前にその人物が見ていたものを、ただ見せてくる。それはその人物の望むものを見せているのか、はたまた何か法則性があるのかは、まだ明らかではない。とにかく、メモリアを見る者は、何を見るか選ぶことはできないし、メモリアはいずれにせよとうの昔に終わってしまった過去であって、それを見ている現代から関与することはできない。

 生きて死に、また別の命を生きて死ぬ、その生命の環を抜けたからこそ、星〈メモリア〉は空から墜ちてくる。よって、そのメモリアの主に会うことはできない。それが、これまでの定説だった。

 しかし、サイレの叫びはエンジュを動かした。サイレは過去を、歴史を変えた。変えることができる過去とは何なのか? 過去とは、現代から連続している一本の道筋を延長した先にあり、それは逆戻りすることはできない——そういうものであったとしたら、サイレの叫びはエンジュに届くことはないはずだ。

 サイレの叫びは、現実に過去を変えた。しかも、一度ならず二度も。つまり、再現されたのだ。何人もの証人のまえで再現されたものは、もはや科学的事実といえる。その意味するところは何か。

 ——過去は「現在に存在する」。

 叔父が書いた急ごしらえの論文に書かれていたのは、それだ。

 すなわち、メモリアは過去の歴史をみせる「録画映像」なのではない。過去は「過去」に存在するのではなく、現在に同時に存在している。

 つまりは〈平行世界〉だ。

 過去は〈平行世界〉として、現在に存在している。そして、メモリアとは何かといえば——〈平行世界〉をのぞきこむ「窓」のようなものではないか。

 叔父の論文はそれで終わりではなかった。この仮説に基づき、ある実験の提案をしていた。

 それは、〈平行世界〉である過去との、環境置換である。

 現代においてこの星バトロイアを埋め尽くしている〈毒の海〉と、過去において同じ星にひろがっていた〈草の海〉。現在と過去の環境を入れ替えれば、〈毒の海〉は消え、古代に存在していた〈草の海〉を手に入れることができる。もちろん、〈草の海〉の下には〈毒の水脈〉が存在しており、そうなれば別の危険が発生することにはなるが、〈毒〉に触れた者みなが死ぬというわけではない。そうなった場合、〈毒の水脈〉への適応は、また別の研究が待たれる。

 ともあれ、過去と環境置換を行うことにより、人類はふたたび草と土に覆われた大地を踏みしめることができる。強化ガラスの中に閉じこもっている今の状況を脱し、自由で広大な大地を闊歩することができるのだ。

 環境置換は、既存の技術の応用によって可能である。たとえば、トリゴナルの各層を結ぶ高速エレベータの技術。問題は座標だ。座標、すなわち、エレベータの出発地点と、到着地点がわからなければ、荷物を輸送することはできない。

〈平行世界〉の座標と、現行世界の座標をつなぐもの。

 ——星〈メモリア〉。

〈平行世界〉の存在の証明となった、古代の少女のメモリア——古代の少女の居場所がわかれば、そこに座標を設定できる。叔父の論文は、そう締めくくられていた。

 それは、サイレがエンジュの生まれ変わりだといった、イヴのスピリチュアル話と同じような、与太話のひとつのように思われた。

 だが、現実に、エンジュのメモリアは存在し、エンジュの過去を動かした少年サイレは存在する。

 そして〈毒の海〉は、年々その水位をあげつつあり、もはや各トリゴナルの大部分は水に沈んでいる。このままでは、地表の空気の層がすべて〈毒の海〉で埋まる日もそう遠くはない。

 たしかに、トリゴナルは安全だった。〈毒の海〉の下でも安心して暮らしを営めるよう、万全な体制を整えてあった。科学の歴史が始まって以来、営々と積み重ねてきた努力によって、人々は「理論的には」安心と安全を獲得した。

 しかし、迫りくる〈毒〉の水は、確実に人々を追いつめていた。

 当の人々が意識していたにせよ、意識していなかったにせよ。

 

 

​To be continued.

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