精 霊 呪 縛
第一部 プリエスカ・理学院編
第11話「“本当のこと”」(2)
そこで、セージはいったん話を切った。
シフルは聞き入っていたが、セージが口を閉じるにつけ、ため息をつく。
「……不愉快だよね」
セージがつぶやいた。シフルははっとして、
「そりゃ——だけど」
と、言葉を詰まらせる。
不愉快というよりは、戸惑っているといったほうがいい。好敵手というふたりの関係は、おそらく変わってしまうだろう。あれは、ずいぶんと居心地がよかった。適度に距離があり、ふいに近づくときもあり、たいてい再び離れる。その繰り返し。そうしている限り、関係に終わりはこないし、また、続けなければならないという強迫観念もなかった。
シフルとしては、セージを追いかけて追いかけて、いつか彼女を負かしたい、という望みもあるにはあったけれど、追いかけつづけることに意義があった。永遠に開いたままの距離を埋めるため、懸命に励む。その距離が縮まないことに絶望を覚えても、他には何も恐れない。その距離を嘆きつつも、そうした日常はいつしか定着し、シフルはひたすら走りつづける。
しかし、彼女の話を聞くことによって、いろいろなものを恐れるようになるだろう、とシフルは思った。きっと、離れることや失うことを。セージはたぶん、そうした恐れが生じることを理解していて、それでも打ち明けるのだ。それこそ、どうして、と訊きたいぐらいだ——たぶん、そうしたいからね、と返されるだけだとしても。
「……不愉快じゃないんだ」
と、シフルは答えた。「でも迷惑だよ。オレの思ってたセージが、いなくなる」
ひょっとしたら、サイヤーラ村を訪れたときに、すでにいなくなっていたかもしれないけれど。
「そんなの、最初からいないよ」
セージは切り返す。
「セージは自分勝手だ」
と、シフルはぼやいた。「……それで?」
「うん」
彼女は噛み締めるように苦笑し、つぶやく。「ありがとう」
そうして、セージは話を再開する。一度ほどけた表情は、すぐに硬くなった。
*
からだをこわばらせて、男を押し戻して、セージは残った気力で必死にあがく。しかし、五人の男の腕力に敵うはずもなく、事態は悪いほうへと向かう一方だった。
セージはそれでも待っていた。ふと、待っていたものを聞きつけたような気がして、耳を澄ませる。男たちも止まった。足音が、この教室にやってくる。
——オコーネル。
「あら?」
彼女は教室の扉をがたがたと動かした。鍵が締まっていて開かない。「ちょっと、セージったら、何してるの? 開けてよ、もう」
女学生の声に応じて、セージを押さえていた五人のうち、二人が腰をあげた。残ったうちの一人は、手を押し当ててセージの口を塞ぐ。二人はというと、足音をたてないように扉の陰に立った。セージはタイミングを見計らって、男の手を思いきり払い、友人の名を呼んだ。
「オコーネル! 逃げて」
男が阻もうとするが、セージも負けない。「男の先生呼んできて!」
「え、な……何?」
オコーネルは状況を把握できない様子で、困惑している。扉のそばの男たちは目配せしあうと、いきなり鍵と扉を開けた。そこにたたずんでいたオコーネルの腕を乱暴につかみ、教室に引きずりこむ。彼女は悲鳴をあげた。それをきっかけに、教室の外がざわめきはじめる。昼休みののどかな空気が、一転して張りつめた。
男はセージを殴り、舌うちする。時間がないとばかり、性急にことを進めようとした。怖気のはしる感触が降ってきて、彼女は抵抗する気力を失った。
「誰か、助けてッ……」
むこうから、友人の抗う声が聞こえてくる。
(助けて)
誰でもいい。この男たちを目の前から消してくれるなら。
(誰か、助けて)
——この男を、殺して。
(生きてる価値なんかない。理想も、意味も、理由もなく私を傷つける男なんて、死ねばいい)
——傷つけばいい。
——消えればいい。
——死ねばいい。
どうなっても、いい。
(助けて)
——助けて。
声には出さず、けれども狂おしく叫んで、セージは目を閉じた。こうすれば、全部目の前から消えてなくなる。全部なかったことになる。ただ、これ以上いやなものはないという感触が、肌を這い回るだけ。村を嵐が襲ったときと同じだ。嵐が過ぎ去るのをただ待てばいい。窓という窓、扉という扉をかたく閉ざして。
ところが、妙なことが起こった。
何の前触れもなく、不快な手が去ったのだ。
(なに……?)
人が来るのを恐れて、あきらめたのか。それとも、助けがきたのか。
しかし、そのいずれでもないように、セージの眼には見えた。彼女がおそるおそるまぶたを持ちあげると、目の前にあるはずの男の顔は跡形もなく、その代わりにきれいな青が視界を埋め尽くしている。青は揺らめき、それでいて静かで、セージの嵐をして去らしめた。
彼女は身じろぎし、からだを起こそうとした。けれど、力が入らない。
見兼ねたように、手が差しのべられた。——子供の手だった。
「大丈夫?」
セージはうなずいた。白い小さな手を、まじまじとみつめる。やはりこれは子供のものだ。それから、細い腕、からだ、頼りなげな首、と順々に視線を移していき、最後にその顔を見た。子供は微笑む。白い前髪の下で、青い透明な瞳が細められた。
「よかったわ、セージ」
美しい容姿、尖った耳。「——あたしたちの、愛するひと」
子供の器をもつ妖精(エルフ)。
セージは呆然と、それを見上げた。
「どうして、助けてくれるの……?」
「セージを愛しているの」
白い妖精は即答した。「愛する女の子が変態に襲われているのに、黙って見ているはずがないわ」
「どうして私を」
セージは混乱している。「どうして私を、愛したの?」
「あなたのこと、ずっと昔から知っているわ」
「そういうことじゃないの」
「そういうことなのよ」
美しい子供の眼に、揺らぎはない。「——でも、忘れないでほしいことがある」
白い髪の妖精は、水(アイン)の一級妖精であり、通り名はキリィといった。
セージには不思議だった。白い子供の背後には、本来あるべき教室の風景はなく、深い青が静かなひろがりを呈している。妖精は青を背負い、セージにむかってほがらかに笑っていた。
助かったのだろう、とセージは思う。でも、この場所は異質な空間、今の今までいた場所とはちがう空間になってしまった。それが、どうにもわからない。
「あなたはね、水(アイン)属性の人間の一人。つまり、水(アイン)に愛される者」
と、キリィは告げた。水(アイン)を統べる元素精霊長もセージの名を知っており、それゆえにセージはすべての水(アイン)に愛され、常にその護りのうちにあるのだと。水(アイン)はみな、セージに使役されることを喜ぶだろうと。
突拍子もない話に、セージは息を呑む。
「私、水(アイン)を召喚したことなんてないわ」
召喚実習はBクラスからだ。Dクラスのセージにはまだ早い。
「今、あなたを助けるために、百を越える水(アイン)の子らが駆けつけたわ。あたしも含めてね」
美しい子供は屈託なく笑いかけてくる。「あたしも、あなたを助けられてうれしい」
ねえ、セージ、と、キリィは甘えるような声を出した。
「あたし、あなたのための妖精になりたいの。いいでしょ?」
「——私のための妖精……?」
セージが首を傾げても、どことなくはしゃいだ様子の妖精は気づかない。
「あたしの本当の名前、教えてあげる。いつでも呼んでちょうだいね」
キリィの白い腕が、セージの首に絡みつく。妖精はセージの耳もとで、その名をささやいた。
が、そのとき、
「セージ! 何やってるのよ」
怒りに満ちた声が、セージをにわかに現実へと引き戻した。「そのキリィって子があなたの言うこと聞くんなら、やめさせて! いくらひどいことをしたからって、殺させる気なのッ?」
「え……?」
セージは眉をひそめた。キリィがいったい何をしたというのだろう。目の前に、あの男はいない。キリィと青い空間がひろがっているだけで、あんな男はどこにもいないではないか。オコーネルは何が不満なのだろう。
「セージ、しっかりして!」
オコーネルはもう一度セージを叱咤した。「しっかり上を見据えて! 現実を見なさい」
その言葉に機嫌を損ねたのはキリィだ。
「やめさせるですって? 人聞きの悪いことをいうのね。あたしはただ、セージの望みを叶えただけ、セージの叫びをかたちにしただけよ」
(上? 現実?)
セージはキリィの背後にある青を凝視した。そして、ゆっくりと眼をみひらく。
「——その男を傷つけて」
詩でも口ずさむかのようにつぶやく、
「消して」
妖精の瞳は、あくまでも透明な青。
「殺すの」
水が、はねた。……
空中に、青い水のかたまり。歪んだ水晶の。
その中に男が漂っている。まるで琥珀に閉じこめられた虫のように——彼の手足は、一本残らず折られていたけれど。
「あ——」
思いだした。確かにそう、声に出さずに叫んだのだ。
——助けて。この男を傷つけて、消して、殺して。
妖精はそれを忠実に実現した。さっきまで自分を襲っていたあの男は、今や水の塊の内側で息も絶え絶えである。
からだのあちこちの骨が折られ——「傷つけて」、手や足があらぬほうを向いている。それに、なぜか自分の眼には、オコーネルに指摘されるまで、この異常なものが単なる青としか映らなかった——「消して」。こうして気づいたときには、すでに男は失神しており、放っておけばまちがいなく溺死するだろう——「殺して」。
まさにこの幼女のなりをした妖精(エルフ)は、セージの望みを叶えたのだ。
(そうよ。傷つけばいい。消えればいい。死ねばいい)
セージにとっては、何の問題もなかった。むしろ彼女には、オコーネルの怒りのほうが理解できなかった。キリィは助けてくれたのだ。望みを叶えてくれたのだ。
「セージ……! 私、よくわかったわ。いくら人真似がうまくたって、思想を《イミテート》することなんてできないのよ!」
オコーネルは、セージがキリィを制止する気がないのを見てとると、強い語調で言い放つ。「最低! こんなふうに精霊の力を使うなんて——」
理想だった。
——私たち二人、精霊たちが兵器として使われないよう、
高い志と、それをともにめざす学友。
——世を導きましょう。
けれど今は、どうでもよかった。理想も意味も理由もなく己を害する者に、報復しなければならなかった。理想がどこにあろうとも、力弱い自分は手段を選んでなどいられない。よってオコーネルの言い分は、セージの耳にひどく障った。同時に、冷えた昂りが徐々に終息していき、視界が明瞭になってきた。
下着姿の自分。同じように服装と髪を乱したオコーネルと、彼女を取り囲む男たち。いずれもすでに彼女を征服する意思を失い、呆然と水のなかの男を見上げている。水(アイン)に沈んだ男は傷つき果て、先ほどまでの乱暴さはどこへやら、今は声もない。水の塊のそばには白い子供がいて、悠然とたたずんでいる。それらの情景が、急に生々しく飛びこんできた。
(現実なんだ)
と、セージは感じた。(襲われたのも、この子が私を助けたのも、私が——男の死を願ったのも)
——こんな男、死んでもいい。どうなってもいい。
願った。願わずにはいられなかった。この事実を、どう受け止めたらいいのだろう。自分もまた、男と同じだったのだ。衝動のままに叫んだ。理想も意味も理由も、何だってよかった。ただ、男を害したかった。
(オコーネル)
ごめんなさい、と謝ろうとした。理想を容易に曲げてしまったことを、許してもらえるとは思わないけれど。
しかし、
「偽善者」
セージより先に、キリィが反論した。「何をきれいぶってるの、おまえ? 胸クソ悪いわ」
「え……」
当の妖精に非難されて、オコーネルが動揺する。
「おまえもセージと同じように助けを求めたじゃない。『誰か助けて』って。誰かっていうのは、この下衆どもより強い誰かのことでしょ。この下衆どもを倒せる誰かのことでしょ。ちがわないわよね?」
白い子供はせせら笑った。
「自分の身が危ないってときに、『誰か』が何だろうとこだわってなんかいられない。精霊だろうが人だろうが、何でもよかったでしょう」
その青い瞳の温度は低い。「今、自分の身の安全が保証されたからそんなことがいえる。その安全こそ、精霊の力を武器として使ったからあるものなのにね」
まぬけもいいとこね——と、妖精は言い放った。
オコーネルはうつむき、微動だにしなかった。できなかったのだろう。妖精は微笑む。必要以上に愛らしい笑みは、彼女にとってどれほどの皮肉になったことか。次の言葉もまた、理想に生きていたはずの少女を遠慮なく突き刺した。
「——傷つくのだけは、一人前?」
キリィは空中でくるりと回り、床に降りた。「精霊の強大な力をもって人を傷つけるのは悪だといいながら、言葉でもって平気でセージを傷つける。中途半端な理想と信念しかもたないくせに、よくもまあ」
矛盾だらけね、とつぶやいて、
「だから人間はおもしろいのね」
一歩一歩、オコーネルに近づいていく。彼女は逃げない。逃げられない。
「でも、あなたはセージを傷つけたのよ。あの下衆どもと同じように」
白い妖精は手をかざした。そこに青い水(アイン)の球体が生じる。「同じ罰をくれてやらなくちゃ」
「やめて!」
ようやくセージは立ちあがった。服や髪をきちんと整えてから、オコーネルをかばう。「もういいわ……、充分よ」
「何が充分なの?」
キリィはつぶらな瞳でセージをみつめた。セージは返答につまったあと、
「男たちへの『罰』も、オコーネルへの『罰』も、もういい」
と、巨大な水(アイン)の集合体を指し示す。「この男を解放しなさい。そして、帰って。……私のために」
「セージ……」
白い妖精の大きな眼が、ますます大きくひらかれた。とたんに妖精の瞳が弱々しくなり、潤みはじめる。セージが驚いていると、とうとうその青い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。大いにみひらいた眼から、とめどなくあふれる涙を、妖精は恥じもしない。
「……セージ、怒ってるの? あたしのこと」
キリィは悲しげに瞳を揺らす。「あたしはセージが大好きなのに、セージはあたしのこときらいになったのね? 全部全部、セージのためにしたことなのにー!」
「え、いや、あの……」
こう出るとは思わなかったので、セージはうろたえた。これでは外見と同じ、まるで子供だ。なだめすかして帰らせるしかない。
「きらいになんてならない。……そうだ、お礼いってなかったわね。助けてくれてありがとう」
セージは眼を細め、泣く子にするように視線の高さを合わせた。「ただ——」
彼女は背筋を伸ばす。背骨をまっすぐにすると、気分もおのずからまっすぐになった。
「やっと頭がすっきりしてきて、思いだしたの。私、いつも思ってる。何ごとも死んだら償えないって。その男を殺すのは、その男への『罰』を免除するのと同じことよ」
きれいごとをいってでも、妖精を止めなければならなかった。「だから、殺さないで」
水晶のような水がぐにゃりと動き、異物を吐きだした。折れた腕が水から突きだしたかと思うと、水(アイン)の子らは容赦なく突き落とす。とうに意識を失っている男は、ずぶぬれで床に叩きつけられても、悲鳴ひとつあげなかった。教室には、床に落下する音と水音が響いただけである。
セージは床に転がった男を見下ろした。これが、さっき自分を襲っていた男。
「セージ、やっぱり殺したいって顔してる……」
キリィがぽつりと言う。
「否定はしないわ」
セージは静かに答えた。「だけど——もういいの。もういいってことに、しなければならないのよ」
もはや、理想は追えないだろう。己の低俗さ、醜さ、弱さを知ってしまった。でも、せめて、許すことのできる人間になりたかった。そうでなければ、オコーネルは自分を許しはしないだろうから。
オコーネルは父のいう「よき学友」。セージと彼女は、これからも切磋琢磨しあってともに走りつづける。セージはそう思った——いや、願った。学院生活に対する大きな失望を経て、出会ったのが彼女である。彼女がいなければ、理学院にいる意味も、学問に励む理由もなくなってしまう。そうなったら、どうすればいいのだろう。何のために、努力すればいいのだろう。
しかし、セージの願いは裏切られた。一週間、授業を欠席したオコーネルは、その間一度もセージに会おうとはせず、翌週になって姿を現すと、いきなり別れを告げたのだ。
オコーネルは涙を落とした。
——だめなの、私はもう。あなたの期待には添えない。
セージの期待が怖かった、と彼女は語る。自分はセージのように優秀ではないのに、セージは自分をまっすぐに敬ってくる。そんなセージの態度が、いつ失望に変わるかと思うと恐ろしく、ときおり勉強も手につかなくなることがあったと。それでも、上をめざすために、あの理想はうってつけだった。どこかで諦めていた途方のない夢も、セージと一緒にいれば、もしかしたら実現するかもしれない夢に変わった。
でも、頼みの綱のあの夢にさえ、矛盾があった。終わりだと思った。朝、ベッドから起きあがれなくなった。それを手紙で親に報告したところ、かねてから学院進学に反対していた彼らは、喜んでオコーネルを迎えにくるという。
——許して、セージ。
あなたの利発さ、純粋さ、厳しさ、憧れたわ。そう言って、オコーネルは目を伏せた。
——でも、もっと、怖かったの。……
オコーネルは理学院をあとにした。セージは見送りにいかなかった。追いすがりもしなかった。どちらにしろ拒絶されることは察していたし、思いとどまらせることができないなら、わざわざ気力を消耗したくなかった。セージもまた、自分の無気力と戦わなければならなかった。落第しないよう、必要な勉強だけは習慣として続けたものの、そうすることの意義を見いだせない。
オコーネルが去った以上、彼女の志を追うわけにもいかない。崩れ去った理想を、再び築きあげる気にもなれない。何をめざすでもなく走りつづけることなど、できない。セージはただ最低限の学習を維持する。
ふと気づけば、夜、眠れなくなった。あまりにも波のない、無気力な日々を送っていると、本来この年齢が持ちあわせている体力を使えず、快い疲労や睡眠欲を感じなくなる。結果、からだは常に倦怠感を帯びるようになり、いつも疲労感があって何にも集中できず、かといって寝入れず、ひたすら怠惰で空虚な時間が流れていく。セージは夜じゅう起きているようになった。昼間は漫然と教科書だけを眺める。たまにうたた寝することがあり、睡眠時間といえばそのくらいだった。
セージがつきあいをもったのは、そもそもオコーネル一人である。いったん失望を覚えれば、彼女は二度と関わろうとしない。よって、そのころのセージは、不眠とともに孤独に苛まれねばならなかった。とはいえ、孤独は彼女を悩ませたが、人が近づいてくればそれはそれで彼女には苦痛の種だった。
第一に、男というものに対する不信と侮蔑。学生の大半は、事件を起こした男たちと同じ、軽蔑すべき生き物なのだ。
第二に、あの一件に対する周囲の好奇の目。被害者であり同時に加害者であるセージ・ロズウェルへのある種の興味。事件を起こした学生たちは、もともと退学宣告を受けていたうえに、悲惨なありさまで王立救護院に運ばれて再び学院に現れることはなく、巻きこまれたオコーネル・ドルスワも学院を辞めている。残る当事者で、もっとも奇妙な要素を備えているセージへの関心が高まったのは、仕方のないことではある。
ともあれ、セージは人を避けたし、人もセージを遠巻きにした。セージは孤立するとともに、何もすることのない時間、教科書を開いたままにしておいた。やがて、余った体力気力をすべて勉強に注ぎこむことを覚えると、セージは徐々に学院内で頭角をあらわしていく。幸い精霊召喚の才にも恵まれており、水(アイン)の愛情も勝ち得ていた彼女は、ひと月ひとクラスずつ順調に昇級していき、Aクラスに至っては《四柱》の一人とされ、《最後の天才》の名も欲しいままにした。
しかし、セージが満足を覚えることはなかった。《天才》に挑戦して敗れ去る者も、そよ風に等しい些事。誰かの悔し涙も、ただそこに流れているものでしかない。彼女には何の意味もなかった。
そんなおり、手紙が届いた。かれこれ四ヶ月ぶりの、家族の返事だった。久々に見る父や母の字に、さすがに泣きそうになった。けれど、
——おまえがよき学友に出会えてうれしい。よき学友は、学問を志す者にとって、何よりも貴重な宝になるよ。決して手放さないように。
そのくだりで、セージは手紙をたたみ、封筒の中に戻した。あとに続く文句が、いっそういけなかった。
——彼(もしくは彼女)と、これからも進みなさい。振り返ることも、立ち止まることも、しなくていい。
手紙を持つ手が、引き出しの把手にかけた指が、震えた。声も出ない。泣けもしない。ひたすらに、空しいだけで。どうして、こうなってしまったのか。あの男たちのせいなのか、オコーネルのせいなのか、あるいは自分を救おうとせず、好奇のまなざしを向けるのみの周囲のせいなのか。それとも、いつまでも沈んでいる自分のせいなのか。わからない。
それでも彼女には、抜けだせるとは思われなかった。もう三ヶ月以上この状況下にいるのだ。今というのは、永遠に似ている。先が見えなければ、状況が変わる可能性を考えることはできない。
(もう、いやだ)
サイヤーラが懐かしい。今ごろは、ちょうど種まきの時期だろう。朝起きて食事をとったあと、弟妹たちが大騒ぎしながら畑に飛びこんでいく。うるさいけれど、心地よい家族生活。
(帰りたいの、父さん。もうここには、何もない——)
手紙によって、張りつめていた糸がゆるんだ。しかし、その日のうちに元の冷淡さを取り戻した彼女は、すぐに平常通りの日々を再開する。
そのころである。
彼女はひとりの少年に出会った。
To be continued.