精 霊 呪 縛
第二部 ラージャスタン・アグラ宮殿編
第5話「火の宮」(2)
その晩、シフルたち四人はファテープル駅構内の宿舎に泊まった。
到着時間がすでに日付変更の直前だったため、同じ汽車に乗ってきた一般客も多くが宿舎に流れこみ、あまり大きくない宿は飽和状態だった。にもかかわらず、留学メンバーにはそれぞれに個室が用意されており、ラージャスタン側の留学生に対する関心の度合いを示しているようだった。
二日ぶりに揺れない場所での休息となったが、シフルは寝入れず、うとうとしはじめたところでセージに起こされた。肩を揺さぶられ、重いまぶたを持ちあげると、外はまだ真っ暗で、朝の訪れには見えない。
「シフルほら、お迎えだよ」
きっちり睡眠をとった風情のセージが言う。「暗いうちに移動するんだって。馬車の中でも宮殿に着いてからでも寝られるそうだから、とにかく起きて」
「わかった」
シフルは寝ぼけ眼をこすりつつ、身支度をすませて部屋を出た。玄関に集合すると、ルッツはまだ体調が回復しておらず、メイシュナーもやはり寝足りないようで機嫌が悪い。セージひとりが朝早くから元気なのは、さすがは農村出身というべきか。
宿舎の従業員に礼をいって、四人は外に出た。空気は予想外に冷たい。セージ以外の三人も、それで半ば強制的に覚醒させられた。なまぬるい眠気は瞬時に吹き飛び、寒さに身を震わせる。
「《おはようございます、ブリエスカのかたがた》」
目が覚めたところで、女が近づいてきた。玄関に吊るされた灯りが、その姿を照らしだす。女は、白いシャツに紫のスカートという、教授会に現れたあのツォエル・イーリと同じ服装をしており、容貌としては泣きぼくろが特徴的な、やはりただごとではない美女だった。が、ツォエルに比べると、親しみやすい感じがする。
「《おはようございます。お出迎え恐縮です》」
四人は頭を下げる。ルッツとメイシュナーは、ラージャ語を実地で使うのはこれが初めてだ。
「《こちらこそ、こんな時間に申しわけありません。みなさまもご承知かと思いますが、我らが皇家は何ごとも秘密裏に進める方針でございます。この件につきましても、時がくるまでは伏せておく手はずになっております》」
黒髪に黒い瞳、泣きぼくろの女官は、気を遣ってかゆっくりと説明した。シフルは耳をそばだて、何とか大半を理解することができたものの、「秘密裏」という単語がわからず、ひととおり聞いてから文脈で理解した。
「《つまり、私たちをラージャスタンの人々に披露する予定があると》?」
セージは相変わらず流麗なラージャ語である。
「《さようでございます》」
女はうなずいた。「《みなさまは、ブリエスカとラージャスタン両国にとって、友好の要となりましょう。おりを見て発表する手はずになっております》」
《なるほど》とセージは相槌をうった。
「《それでは、お名前を確認させていただきます》」
女官は四人を見渡して告げる。「《ルッツ・ドロテーアさま》」
「《はい、俺です》」
ルッツが小さく手を挙げた。
「《セージ・ロズウェルさま》」
「《はい》」
「《ニカ・メイシュナーさま》」
「《はい》」
「《メルシフル・ダナンさま》」
「——《はい》!」
シフルは意気ごんで返事をする。女官は微笑んだ。
「《わたくしは《五星》——アグラ宮殿にて皇帝陛下に奉仕することを許された五人の女官のことでございますが——第二席、ファンルー・イーリと申します。以後、お見知りおきを》」
「《あれ、その名前。ブリエスカに来てたツォエル・イーリさんと血縁なんですか》?」
「《いいえ》」
メイシュナーの質問に、ファンルーは優雅なしぐさで頭を振る。「《似たようなものですが、少しちがいます。わたくしどものことについては、おいおい説明させていただきますわ。まずは移動いたしましょう。夜が明ける前に、アグラ宮殿に着かねばなりません》」
女官を含めた五人は、待機していた馬車へ乗りこむ。向かいあった座席の片側に女官とセージ、反対側に三人の少年が腰を落ちつけた。馬車が動きだすと、乗り物に弱いルッツがさっそく酔いはじめ、メイシュナーは舟を漕ぎだし、セージはファンルーに話しかけた。
「《宮殿までどれくらいですか》」
「《三十分ほどかかります。それにしても、セージさまの発音のお美しいこと。ルグワティ・ラージャ(皇帝の言語)の名にふさわしい音ですわ》」
「《ありがとうございます》」
シフルはラージャ語に慣れようと、しばらくは女性二人のやりとりを聞いていた。が、ふと、うなだれた自分に気づく。はっとして首を持ちあげるが、首はどうあれまぶたが降りる。シフルは頬をつねった。
「むりしないで寝たら? 宮殿に着いたら起こすよ」
セージが言う。ファンルー・イーリも、《到着までお休みください》と勧めてくる。頭を振ったシフルは、しかし五分ともたずに眠りに落ちた。
何分か経ったころ、
「……シフル、シフル」
セージに肩を揺さぶられた。
「着いた?」
シフルは目をこする。
「ううん、まだだけど。見て、あれ」
セージはシフルの背後の窓を指さした。「熊がいる」
「熊ぁ?」
シフルはうしろを振り返り、背もたれに肘をついた。窓の外を眺めやるも、外はいまだに闇である。闇の濃さから、道の左右が森に覆われていることがわかった。この状況下で森の中の熊を発見できるとは、セージの視力が少々よすぎるという話ではないか。
が、
「あ……?」
確かに、熊はいた。
シフルは熊を見たことがない。ビンガムは都会で野性動物の数が少ないし、そもそもプリエスカには熊は生息していないのだと、ビンガム市立学院の生物の授業で聞いた気がする。でも、むかし父に買い与えられた百科事典に、熊の詳細な絵が載っていた。いろいろと種類はあるようだが、一般的には大柄で焦茶色の毛むくじゃら。
けれど、馬車を追うようにして四つ足で駆けてくるものは、同じ毛むくじゃらでも明るい退紅色、しかも白く発光している。
「変な熊だなー」
シフルは素直な感想を口にした。「あんなんじゃ、食べ物とれなくて飢えて死ぬんじゃないか」
「シフル、まだ眠い?」
セージは呆れたように言う。
「きのう眠れなかった」
「そんな感じだね。あれは、妖精だよ」
と、セージ。「それも魔物。火(サライ)の魔物。私、初めて見た」
「——魔物?」
反射的に、シフルは窓に張りつく。眠気はどこぞへと吹き飛んだ。
退紅色の熊は、まだ馬車にしたがって走っている。そういえば、ラーガも、セージに従属するキリィも、精霊が宿った器はみな、ありえない——おかしな色をしていた。この熊は、よくよく観察すると、体毛だけでなく眼も深紅である。
「へー、すっげー! オレも、人間じゃない妖精はじめて」
「本当にね。さすがは《火(サライ)の国》ラージャスタン、ってところか」
興奮しきりのシフルの前で、セージも瞳を輝かせていた。が、
「《あの魔物……》」
そのかたわらで、ファンルー・イーリがおびえたようにつぶやく。「《わたくしたちを追っているように見えますわ》」
「《まっさかー。なんで魔物がオレたちを》」
シフルは女官の発言を一笑に付した。魔物に追われる理由などない。しかしファンルーは、
「《魔物が人間を襲う例は少なくありません。彼らは気まぐれで、何をするにも根拠は要らないのですわ。ここ数年でも何件か報告されておりますし、何よりクレイガーンの時代のことがあります》」
そう早口に述べ、窓を開けて御者に指示する。「《速度をあげなさい! 魔物がつけてきているわ、引き離して!》」
「——《魔物ッ? は、はい、わかりました!》」
御者はあわてて鞭を振るう。馬は痛々しくいななくと、足を速めた。揺れの調子が変わったので、メイシュナーの舟漕ぎは中断を余儀なくされ、ルッツはいっそうつらそうだった。
「《いざというときは、みなさま、お力をお貸しいただけますか》」
向き直り、女官が頼んでくる。「《わたくしはあまりよい精霊使いではありませんので》」
「《大丈夫です》」
セージは答える。「《あれは四級火(サライ)です。なんとかなります》」
「《頼もしいお言葉ですこと》」
泣きぼくろの女官は安堵の息をつく。
少年は引き続き、窓の外にいる熊を見守っていた。速度をあげた甲斐あって、白い光に包まれた彼女——熊の影は、だいぶ遠ざかっている。けれど、なぜか依然として馬車のあとを追いつづけていた。食べ物を積んでいるわけでもないのに、どうしたのだろう。
シフルははるかむこうにいる熊の眼をみつめる。熊の感情など、読めはしない。熊は光る赤い眼でこちらを見据えながら、黙々と足を前後に動かしている。
(四級か……)
シフルはひとりごちる。(もし、『彼女』がまた昇級したのだとしたら)
Aクラス昇級試験、試験のあとの夕方、それに留学メンバー選抜試験。三度シフルは「彼女」を召喚し、二度は話もした。
〈あなたの役に立てて、私もうれしい……〉
〈ごめんなさい、でも、私がもう一度、あなたのお役に立ちたかったから。他の仲間を押しのけたんです〉
〈……また、あなたのお役に立てる日がきますように〉
精霊は《不安定》な存在であり、《安定》するべく器を探し求める。「彼女」の言葉によって精霊の昇級が明らかになった以上、「彼女」が現在四級にまでなり、熊の遺骸に宿っていたとしても、ちっとも不思議ではない。だが、
(まさか、な)
と、シフルは思った。どんなに運がよくても、留学先に「彼女」まで流れてきているなんてこと、あるはずがない。大陸は広く、三度出会えただけでも幸運といえよう。
(あの火(サライ)、元気かな)
シフルはひとりごちる。(元気かなんて、精霊にむかって言うことじゃないか。けど、他の精霊に喰われたりしてないといいな)
そう密かに願った少年の眼前から、いつしか退紅色の熊の姿は消えていた。
早朝の街道は元通りの暗闇となり、静寂を破る車輪の音も、そのなかに溶けていった。
やがて車輪は回転を止めた。御者に到着を告げられて、留学生たちは馬車を降りる。車外の空は白みはじめる気配すらなく、あたりを見渡してもどこが目的地のアグラ宮殿なのかはっきりしない。
足もとに湿った砂の感触があり、水音が近くに聞こえる。どうやら馬車は川辺に停まったらしい。御者がランプをかざすと、もう二、三歩の距離に濁った水の流れがあり、シフルは思わず飛びのいた。
「《お気をつけください、メルシフルさま。ジャムナ川と申しまして、宮殿の裏手に流れる川でございます》」
と、ファンルー。「《みなさま、じきに迎えの舟が参りますので、今しばらくお待ちください》」
シフルは何歩か後ずさり、御者が川にむかってランプを振るさまを眺めていた。ややあって、ジャムナ川を挟んだむかい側に小さく灯りがともる。灯りは徐々に大きくなり、櫂を操る音が近づいてきた。岸辺につけられた小舟には、ラージャスタン式の服装をした船頭が乗っていて、シフルはまた元気よく《こんにちは》と声をかけた。
ところが、船頭はファテープル駅の駅員とは異なり、ラージャ語で返事をしてはくれなかった。ためらいがちに口をひらきかけるも、声を出す前に閉ざしてしまう。
「《その者はお端下ゆえ、メルシフルさまと対等に言葉を交わすことは許されません》」
と、ファンルーが述べた。《メルシフルさまとは身分がちがうのです》と補足もする。
「《でもオレ、ただの学生なんですけど》」
「《メルシフルさまは、我らがラージャスタンの大切なお客人でいらっしゃいます。皇帝陛下は、王侯貴族のお客さまにも匹敵する、と》」
泣きぼくろの女官はにっこりと微笑んだ。「《わたくしども、アグラ宮殿でご奉仕申しあげる僕(しもべ)一同、ブリエスカのかたがたを心より歓迎いたしますわ》」
シフルはなんとか、うなずいてみせた。納得はしかねたけれど、郷に入っては郷に従え、が世のならいだ。今後、長期間ここで生活していくことを考慮すれば、自分のやりかたを押し通すべきではない。
シフルはファンルーに促され、小舟に乗りこんだ。全員が舟上の人となったところで、小舟は一行を対岸へ運びはじめた。ただ、相変わらず夜明けには遠いようで、対岸にあるアグラ宮殿は大きな黒い影にしか見えない。このまま舟で裏門に入るというのは、シフルたちの心持ちとしては、正体の知れない影のなかへ踏みこむに等しかった。
川むこうに立ちはだかる大きな影を、シフルは仰ぎみた。それは少しずつ迫ってきて、有無をいわさず少年たちを呑みこんだ。
門をくぐると、あたりは明るくなった。宮殿内の水路は、左右の壁にたくさんのランプが備えられており、暗いうちに旅してきた留学生一同を安堵させた。任務を滞りなく果たしたファンルー・イーリの口もとも、それとなくほころんでいる。
「《さて、みなさま》」
女官は改めて表情を引きしめた。「《じきに結界を通過いたします。入城の許しなき者は、我らが炎の裁きにかけられる仕組みでございます。わたくしの手をおとりいただき、声をおかけするまで離されませんよう》」
そう言って差しのべられた彼女の手の甲に、火(サライ)をかたどったとみられる模様が彫りこまれている。美女の白い手に浮かびあがる入れ墨はなまめかしく、彼女からいちばん離れた場所で座っているシフルも、無用な緊張を強いられてしまった。その手を握る栄光に浴したのは、乗り物酔いでそれどころではないルッツで、彼は青い顔で無感動に女官の手をとった。
「『炎』だって」
隣に座っていたセージが、シフルにむかって手をさしだす。
「火(サライ)のことだよな」
「でしょ」
シフルは《時空の狭間》での件を思い起こし、覚えず頬に血を昇らせたけれど、あくまで自然体を装おい、慎重に手を重ねた。
火(サライ)、水(アイン)、風(シータ)、土(ヴォーマ)という呼称は、四大元素崇拝に独特なものであり、ラージャスタンでは通用しない可能性もあるのだと、特別カリキュラムの講義で教わった。どちらかというと固有名詞に近い呼び名ではなく、より抽象的な「炎」という言いまわしをするところに、ラージャスタン人の信仰心が表れているようだ。
火の精霊(サライ)が皮膚を駆けめぐる。精霊が去った直後、舟は水路の果てに行きついた。一行はそこで舟を降り、女官ファンルーの案内に従って宮殿の地下を歩きはじめた。水路の脇の狭い階段を昇っていくと、地上である。ようやく白みはじめた空が、シフルたちを見下ろしていた。
階段は庭園の片隅に通じていた。あたりを見回すと、付近の木々がきれいに丸く刈られている。同じように整えられた庭を、プリエスカでもよく見かけた。
「《こちらです》」
女官は長い廊下に入っていった。皇宮に住む人々はいまだ眠りから覚めないのだろう、廊下は留学生一行を除いてまったくの無人である。
広い庭を一望できる部屋へ連れてこられた。男子と女子に分かれるよう指示され、それぞれに部屋を確認する。男子部屋にはベッドが三台。ごく普通のベッドである。ラージャスタンでは、生活様式のすべてがプリエスカとは異なると聞いていたので、シフルは内心がっかりする。
「《みなさま、ブリエスカからの長旅、さぞお疲れでございましょう。まずはごゆるりとお休みくださいませ》」
ファンルーが告げる。「《お目覚めになりましたら、ぜひ皇帝陛下ご主催による歓迎の宴にご出席くださいますよう。おかげんが優れないようでしたら、引き続きお休みいただいてもかまいません》」
この部屋は一時的に滞在する客室であり、近日中に正式な部屋へ移ることになっているので、荷物はまだ解かないように——そう言って、女官は出ていった。留学生四名は寝不足を補うべく、おのおの客室の入口をくぐる。ひと部屋に男子三名が、もうひと部屋にセージが、就寝前のあいさつをして散っていった。
シフルは、三台のうち真ん中のベッドを陣どり、ブランケットの上に寝転がった。気持ちよくあくびをして、はたと気づく。そういえば、この部屋にはドアがない。入口はあっても、それを塞ぐ板がないのだ。ベッドは宮殿側の配慮かプリエスカ式だが、建物自体はラージャスタン式である。
シフルは隣室に走った。隣室は、ベッドがひとつしか置かれていないものの、同じ種類の客室のようで、やはりドアがない。
「シフル、どうしたの? 眠れない?」
ローブを脱ぎかけたセージが、驚いたように訊いてくる。このローブは元素精霊教会に所属する召喚士の装束であり、ラージャスタンの衣装を与えられるまでは脱ぐな、とプリエスカ国王に言い含められていた。
「いや、すっげー眠いんだけどさ。この部屋、ドアがなくて危なくないか? セージ、ひとりで大丈夫?」
「——」
目をこすりつつ言うと、セージは黒い瞳をみはった。その意味を計りかねて、少年は首を傾げる。いくら表面上は歓迎されているといっても、ラージャスタンという敵国同然の土地で鍵もかけずに寝てしまうことに、セージは不安を覚えないのだろうか。
まじめそのもののシフルに、セージはやおら吹きだした。身をよじっておかしがる彼女を前に、シフルはやるかたなく立ち尽くす。セージの笑いは容赦なく、その声は早朝のアグラ宮殿に響いた。ルッツとメイシュナーが起きだしてこないのは、前者は乗り物酔いで、後者は眠気で、それどころではないのだろう。
ひとしきり笑ったあとで、
「あっははは、そうだね、確かに危ない!」
と、冗談めかす。「だけど、着替えの最中に前触れなく入ってこられるほうが、よっぽど! あはは!」
「——!」
シフルは言葉を失い、次いで赤面した。「ちっ、ちがッ、オレ!」
少年の顔色は、赤、青、赤、青とひっきりなしに変化した。視線もさまよい、目の前の少女を直視できない。セージはシフルの動揺ぶりをおもしろそうに眺めると、意地悪く口の端をあげた。
「わかってるよ、シフル。シフルはそんな人じゃないものね」
そのひと言に、少年の表情がやわらぐ。両の眼には、うっすらと涙。セージは、口もとに優しげな笑みをのせる。
「確かにシフルの言うとおり、女の子ひとりがドアもない部屋で寝るのは危ない」
「そう! そうだろ? オレ、それはどうかと!」
「本当にね。だから、シフル」
セージはシフルの純情を嘲笑うかのように、自分の手と手を合わせた。「私と一緒にここで寝てくれる? ——ベッド、ひとつしかないけど」
でも、サイヤーラでも一緒に寝たものね、平気だよね、と彼女は追い討ちをかける。
再度、顔から火を吹いたかと思うと、少年は脱兎のごとく逃げだした。こけつまろびつ部屋を飛びだし、廊下に出るや何もないところで足をもつれさせ、はでに転倒した。
シフルが男子部屋に転がりこむと同時に、セージの部屋から押し殺したような笑い声が聞こえてきた。彼女にからかわれたのだと理解しつつも、恥ずかしさにブランケットの蓑虫と化し、蓑をつくるときの幼虫さながらベッドの上でのたうちまわった。
(セージなんて! セージなんて、もう友達じゃねー!)
そうだよ、やつはもともと敵じゃないか、と少年はブランケットの中でぼやく。(……負かす! 絶っ対、負かしてやる……!)
この留学で、彼女に認めさせるのだ。自分は、こんなくだらないことでこばかにしていい相手ではないのだと。そのためには、ラージャスタン側の課すだろう任務を完璧にこなし、プリエスカ側の期待する成果をあげることである。すなわち、精霊召喚の技術を向上させること、——精霊王の呪いを解くこと。
(よし、まずは寝る! ぐっすり寝る!)
シフルは蓑虫のごとき動きをやめた。(それで目が覚めたら、さっそく情報集めだ)
——待ってろ、精霊王!
ついでに、セージも。シフルはまた顔が熱をもったのを感じつつも、強いてまぶたを下ろした。目を閉じると、隣室からいまだに笑いを堪えているらしい声が聞こえてきたので、シフルはいっそう脱線した負けん気を燃えあがらせた。自分のなかで行われた問題のすり替えには見て見ぬふりをし、少年は眠りに落ちた。
To be continued.