top of page
​精 霊

第二部 ラージャスタン・アグラ宮殿編

第7話「見えない糸」(2)

 険悪な雰囲気のまま、次の授業が始まった。

 ヴァルーという男性教師が教えるのは、ラージャスタン留学最大の目的、精霊召喚による戦闘法である。ヴァルーはフェイジャ宮の衛兵隊長も務める精霊召喚士——ラージャスタン的には精霊使い——であり、アグラ宮殿で二十四番めの使い手だという。

「《留学生諸君には、こういうのは異和感があるだろうね》」

 ヴァルーは衛兵隊長といういかつい肩書きの似合わない、優しい物腰の青年だった。「《私はバチアの出身だから、多少ブリエスカ的なものも知っています。ブリエスカでは、ラージャスタンほど階級や序列にこだわらないと聞きますが、どうかな、ドロテーア君》」

「《おおむねそのとおりですが、俺たちのいた理学院はちがいます》」

 ルッツは答える。「《理学院では成績順にクラスを割り振っていますし、規定の順位や点数に足りなければすぐ落第です》」

「《それなら、アグラ宮殿の精霊使いは百位までの順位づけがされていて、それ以下の者はお端下扱いになるってこと、わかってもらえるかな》」

 と、ヴァルーは告げた。「《私の二十四番というのは、我らが皇帝陛下から、貴族のかたがたの守護と子供たちの教育をまかされるだけの順位ということです。名高い理学院召喚学部の学生さんである君たちですから、さぞ高名な精霊使いの教育を受けてきたのでしょうが、皇帝陛下の御名において、私のことも信用してください》」

《前振りはこのぐらいにしておきましょう》といって、ヴァルーは中庭に出るよう指示した。セージを除く留学生と園児、計十九人は、教室を出てヴァルーのまわりに集まった。

「《じゃあ、いつものように始めます。とはいっても、留学生諸君は初めてですし、まずは説明しましょうか》」

 ヴァルーはこれから戦闘法を教えるとは思えないほど、のんびりと話す。「《精霊使いの戦闘において大事なのは三つです。精霊の強さ、召喚の正確さ、そして何より適切なときに適切な召喚を行うこと。上級精霊を呼ぼうとしたその隙に、下級精霊に殺された精霊使いもいますから》」

 選抜試験のポイントも三つだった、とシフルは思いだす。あれは確か——ひとつ、かの国で自分の身を守れるかどうか、ふたつ、なおかつ皇家の人々を守れるかどうか、三つ、それらの精霊召喚がまぐれではなく確実かどうか。

 精霊を呼び損ねると、召喚実習ならいざ知らず、戦闘においては死に直結する。五級以上の精霊ならば、たいていは相手を死に至らしめることができるからだ。六級以下であっても、やりかた次第ではなんとかなるが、普通はやりかたがどうのといっている隙に、相手はより強い精霊を召喚して下級精霊の力を弾き返すだろう。よって、精霊召喚の戦闘でもっとも重要なのは、より強い精霊をより確実に使役することだった。

 シフルにはラーガがいる。彼さえいれば、シフルをしのぐ精霊召喚士はほとんどいないだろう。しかし、ラーガの力に頼りきっていては、自分自身が強くなれない。これは授業で、訓練なのだ。基本的にはラーガを召喚せずに、自分だけの力で授業に臨むべきだろう。少年は意気ごんだ。

「《じゃあ、二人一組になってください。男女関係なく。留学生のみなさんは、仲間うちで組まないように》」

 ヴァルーの号令で、生徒たちは次々に組をつくっていく。ルッツとメイシュナーも、それぞれ近くにいる男子生徒に声をかけた。

「《おい、やろうぜ。メルシフル・ダナン、だっけか》」

 シフルはがき大将らしい風情の生徒に声をかけられた。

「《いいよ。あんたの名前は》?」

「《さあ?》」

「……《あのなあ》」

「《ブリエスカ人に教える名前はねえよ》」

 男子生徒はにべもない。シフルはため息をつくと、手を挙げる。

「《で、先生、これ、どうしたら勝敗が決まるんですか》?」

「《要は、相手を戦闘不能にすれば勝ちです》」

 と、ヴァルー。「《でも、むろん殺すわけにはいきません。殺さず、極力けがもさせずに、相手を攻撃不可能な状態にする》」

「はあ」

(なんだそりゃ)

 シフルは途方に暮れた。(セージがいつもメイシュナーにやってるようなことか? 水(アイン)の壁に閉じこめるとか、水(アイン)に顔つっこませて息できなくするとか)

「《他に制限は》?」

 今度はルッツが訊いた。教師が《例えばどのような?》と聞き返すと、

「《地面に穴が空いてもいいんですか》? 《建物が壊れても》?」

 と、恐るべき可能性を口にする。

「《それほどの力があれば、皇帝陛下はドロテーア君に官位をお授けになるでしょうが、ちょっと困りますね》」

 ヴァルーは微苦笑した。「《地面がえぐれるくらいならかまいませんが、建物には気をつけて》」

「《わかりました》」

 ルッツは猫の瞳を細めた。実にうれしそうである。シフルは、ルッツと組んだ生徒が気の毒になってきた。

(いや、それよか自分だ自分)

 シフルはがき大将風の少年に向きなおる。この少年も、ルッツほどではないものの、何だかうれしそうだ。精霊召喚の戦いが好きなのだろうか。それとも、プリエスカ人を痛めつけるのが?

「《もう質問はありませんね?》」

 青年教師は年長組を見渡した。「《では、始めてください》」

「《はいッ!》」

 生徒たちはいっせいに叫ぶ。

 ラージャスタン孤児の鬨の声は波となり、留学メンバー三人を呑みこんだ。

(うわ……!)

 全身から汗が噴きでた。ラージャスタンがプリエスカより温暖なせいもあるが、それよりも孤児たちに気圧されたことのほうが大きい。

 きのう途中で逃げだしたために感じられなかった、理学院の学生ではもちえない気迫。それは、皇帝の役に立つ者でなければここでは生きていけないという掟が彼らの命運を握っており、授業中の何げない振るまいすら彼らの明日を左右するからだろうか。書道教師のグールーズが、今朝になってとつぜん宮殿を追われたように。

(負けてたまるか)

 シフルは持ち前の負けん気で、己を奮い立たせる。(よし、とりあえずセージの真似をしよう。えーっとオレ、水(アイン)は何級まで呼べたっけ)

「《おい、かかってこいよ。怖じ気づいたのか、ブリエスカ人》」

「《どうしようか考えてるよ》」

 律儀に返事して、シフルは拳を振りあげた。「《いいや、考えてもしょうがない》! ——火(サライ)、オレに力を貸してくれ」

「《水の眷属!》」

 シフルの呼び声に合わせて、相手の少年も水(アイン)を召喚した。手はじめに放った六級の炎を、水が消し去る。水(アイン)は火(サライ)とは対になる元素だが、性質上、火(サライ)に優越する。同じもしくはより低い階級の火(サライ)であれば、完全に押さえることができた。

(! こいつ、指を折らないんだ)

 シフルは指を数えながら、内心、相手の力量をほめた。精霊召喚に決まった形式はなく、指を階級の分だけ立てるのは、それだけの力をもつ精霊を呼びだすという感覚がつかみやすいからである。シフルが未熟な学生だからそうする必要があるのであって、熟練の召喚士であれば不要な手順だった。

「次、風(シータ)!」

 シフルは指を四本折り、六級風(シータ)を呼んだ。

「《来い、風の眷属!》」

 少年は同じ属性——おそらくは同じ階級——の精霊をくりだし、シフルの風(シータ)を相殺した。対峙する二人の少年のあいだに、風が渦巻く。シフルの白い袴と、少年の浅葱色の上下が、激しく風になびいた。

(もしかして、《四柱》ぐらい強いのかも——……)

 シフルは正面から突風を受けつつ、唇を引き結ぶ。(前から行ったら、簡単に止められる。隙をついて、うしろから水(アイン)をしかけないと)

 でも、どうやって? シフルはさっそく、自分がいかに戦闘に慣れていないかを痛感した。次に何をすべきなのか、さっぱりわからない。

 剣術の試合ならば、ただやみくもに相手を打ち据えようとするだけでも戦いになる。芸のない真っ正直な剣では、相手によっては簡単に負けを喫するだろうが、勝てないわけではない。

 が、精霊召喚はちがう。そもそも「やみくも」が通用しない。もちろんここが戦場であれば、ひたすら精霊に敵を殺せと命じるのみなのだろうが、今は授業中。死なせず、あたうる限り傷つけずに相手を「攻撃不可能」にするには、頭を使わなければならない。相手の隙をついて下級水(アイン)をしかけるなら——まず第一に、どうやって隙をつくか? 隙をつくためには相手に力を打ち消されないようにしなければならないが、それにはどうすれば?

 六級だと受け止められてしまうなら、五級ないしそれ以上の階級をめざす必要がある。けれど、めざすといってもそう都合よくものごとは進歩しない。それなら、他の手段を講じなければならない。精霊がだめなら自分が動くか? そういえば、攻撃方法についての制限はなかった——相手にけがを負わせたり、建物を破壊したりしない限りは。が、足をかけたりするのは危ないし、うまく背中をとれるような身体能力はない。ならば、驚かせて隙をつくるか。しかしそれだって、いったいどうすれば。

(わからない)

 シフルは立ちすくんだ。(頭を使うんだ。何かあるだろ、何か)

 自分を叱咤するも、頭の中は真っ白で、何ひとつ思い浮かばない。試合開始後一分にして、はやくも万事窮すだった。

「《おいブリエスカ人、本気だせよ、本気》」

 相手の少年が、こばかにした調子でいう。「《とっくに試合は始まってるってのに、チンタラしやがって。殺すつもりでかかってこいよ。まさかブリエスカ人ふぜいに殺されやしねえからよ》」

 シフルは改めて相手の少年を見やった。少年は挑発しながら、明らかにそわそわしていた。どうやら、はやく攻撃したくてたまらないらしい。が、それでいて、相手の能力を見極める意図のようで、シフルが動きだすのを待っている。この様子を見る限り、ふだんは試合相手を観察して戦術を決めるようなたちではなさそうだ。プリエスカ人相手だから、慎重になっているのだろうか。

(しょうがない)

 シフルはこのとき、無傷ですませることをあきらめた。この場合、相手の少年ではなく、自分を、である。

「《あのさー、言葉を返すようだけど》」

 と、シフルは言った。「《あんたが先に本気だせば? 殺すつもりでももちろんオッケーだよ。オレだって、あんたなんかに殺されるほど弱くないし》」

「《……は?》」

 少年の頬がぴくりと動いた。

「《もう一回いうよ》」

 シフルはくりかえす。「《オレも、あんたに殺されるほど弱くない》」

(……って、やばいかなー?)

 強気な態度とは裏腹に、胸中はひやひやものである。しかしもうあとには退けない。全力でかかってこられれば、いかに「平和ボケ」の自分でも無我夢中にならざるをえないはず。

「《……ははッ、言ってくれる。ブリエスカ人が!》」

 思ったとおり、相手の少年は挑発に弱かった。「《わかったよ。お望みどおり、先に本気だしてやる》」

 後悔するなよ、と付け足して、次の瞬間、彼は地面を蹴った。

 ——来る。

 シフルは少年を目で追った。

 高く跳躍した少年の背後に、昼間の太陽があった。苛烈なラージャスタンの日光が、シフルの目を打つ。目がくらみ、少年の姿が見えなくなる。

「火(サライ)——!」

 とっさに、シフルは叫んだ。立てた両手の指は計五本。炎の燃えたつ音を聞いてから、指の数を七本に変える。

「風(シータ)っ、火(サライ)を助けてくれ!」

 二元素以上の力の融合は、理学院Aクラスで扱う課題のひとつだった。風(シータ)は火(サライ)の力を倍加させる性質があり、もっともよく行われる融合の組み合わせといっていい。六級以下では阻まれてしまうのなら、五級火(サライ)に風(シータ)の力を足したのではどうか。

「《水の眷属よ!》」

 水音とともに、小さな池をひっくり返したような水がシフルに注がれた。少年は空中でも的確に反応し、風(シータ)つきの五級火(サライ)を防いだのである。

 それがすむと、少年はいま一度《水の眷属》を呼びだしてまたも大水を降らせ、そのあとで着地する。シフルはかろうじて、そうした少年の動きを把握していた。言い換えると、それしかできなかった。上級水(アイン)らしき大水はひっきりなしにシフルの上に降り注ぎ、呼吸すら許さない。むろん声も出ず、やり慣れた方法で次の精霊を召喚することもできない。シフルは、元素名を口にしながら階級の数だけ指を立てて召喚する、というやりかたしか知らない。理学院の精霊召喚の基本である。

(火(サライ)……、火(サライ)!)

 頭の中で助けを求めるが、彼女は出現しなかった。もしかすると来ているのかもしれないが、同じ階級であれば水(アイン)と競ったところで呑みこまれてしまうし、下級なら吸収されてしまう。上級であればとっくに相手の精霊を追い払っているはずなので、少年の水(アイン)は四級以上ということだった。

 シフルはもがいて、水をしこたま飲んだ。

 息ができない。水は嫌というほど飲んだのに、喉が乾きを訴えているような。

(これって、まさにセージのと同じ)

 シフルは力を抜いた。(じゃあ、ここまでなのか)

 こんな簡単に……。シフルは水(アイン)に包まれながら、悔しさに歯噛みした。

 すると、シフルを執拗に責めていた水が、ざあ、と音をたてて流れていった。解き放たれて、シフルは崩れ落ちる。

 ようやく与えられた空気を、夢中で吸いこんだ。息がやたら荒いが、落ちついて呼吸する余裕などなかった。

(実戦だったら、これでオレは死ぬんだな)

 と、シフルは思った。むろん、実戦ならとうの昔にラーガの力で救われているのだろうけれど。うつむくシフルの視界に、相手の少年の靴が入りこんだ。

「——」

 シフルは言葉もなく、ただ顔をあげた。少年の冷ややかな顔が見下ろしている。

「《つまんねえな》」

 彼は舌打ちした。「《何が『当たり』だか。とんだザコじゃねえか》」

(『当たり』?)

 シフルはその意味を計りかね、彼をじっと見た。

 が、少年は無視し、

「《ザコは沈んでろ》」

 と、言った。「《——土の眷属》」

「!」

 左足首を、何かが締めつけた。

 そのまま、地中へと引きずりこまれる。

(土(ヴォーマ)……!)

 上空には、ラージャスタンの太陽。そして、少年の昏い影。

 シフルは太陽にむかって手を伸ばした。しかし、太陽も少年の影も、あっというまに遠ざかり、シフルの視界は大地に閉ざされた。目の前が真っ暗になるまで、ほんの一瞬だった。

 

To be continued.

© 2022 by Kakura Kai / このサイトはWix.com で作成されました

  • Twitterの - ブラックサークル
  • Instagramの - ブラックサークル
bottom of page