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​精 霊

第二部 ラージャスタン・アグラ宮殿編

第10話「それはひとつの火種」(2)

「《よろしくお願いします》」

 授業が始まると、そのままの流れでシフルはミーザンと組むことになった。

 丁寧に頭を下げられ、シフルはどぎまぎしながらそれに倣った。ミーザンのごく当たり前の態度が、まだ慣れない。

「《せっかくだから、ひとつ約束しない?》」

 と、ミーザンは告げた。

「《約束》」

「《うん》」

 ミーザンが手招く。シフルは言われるまま耳を寄せた。「《あなたが負けたらあなたの命をもらう。ぼくが負けたらぼくの命をあげる》」

「!」

 シフルはとびすさった。ミーザンは笑みをもらす。

「《わかる? あなたに足りないのは真剣味。本当に殺されるとは思っていない。だからカスバに簡単に負けたんだよ》」

「《簡単って》」

《そういうわけじゃ》と反論しかけたが、先日の試合を思いだすにつけ、そうとしか言いようがなかった。シフルはぐうの音も出ず黙りこむ。

「《お願いだよ。簡単に負けないでほしいんだ》」

 と、ミーザンは言った。「《ぼくたちは命がけで学び、吸収し、成長する。将来、皇帝陛下の御ため全力を尽くせるように。それがぼくたちが生きる唯一の道なんだ。あなたから学べるものがなければ、ここで試合しても意味がない》」

 ——ここで学ぶ者は、例外なく皇帝陛下の御慈悲に浴する孤児であり、将来は皇帝陛下の尖兵となる。

 そう言ったのは、今はもうここにいない書道教師グールーズだ。きっと、それは慈善園の絶対の掟なのだろう。グールーズのやりかたはシフルには耐えがたかったが、この場所においてはまちがっていなかった。

「《命をもらうといってももちろん方便だけど、そのことを意識するだけでもだいぶちがうんじゃないかな?》」

「《方便って言っちゃあ意味がないけどな》。……《言いたいことはわかったよ。努力はする》」

「《そういうことで、よろしくお願いします》」

 シフルはうなずいた。同時に、精霊召喚による戦闘法の教師ヴァルーが号令をかける。

「《今日は、いつもとはちがった趣向で試合してみましょう》」

 そう言って、ヴァルーは抜き身の刃をとりだした。「《剣を使います》」

 生徒たちはざわめいた。どうやら、慈善園のこの組でも初めての試みらしい。シフルはオースティンの一件を思いだし、反射的に首もとを押さえる。

「《もちろん、精霊使いである我々は、剣を使いつつも主に精霊を戦わせるわけですが、ときに武器の戦いがすべてを決することもあります。前の戦争でも、精霊使い同士の実力が伯仲して決着がつかないと、最後は精霊使いたちが半ば白兵戦を行うことになり、戦場の混乱は大変なものになりました》」

《といっても、私は前の戦争には参加していませんが》と付け加える。青年といえる若さのヴァルーは、当時ひと桁かそこらの年齢だろう。

「《ですが、言われているのはこうです——『ブリエスカの精霊使いは剣の扱いが拙い。戦線の膠着を最後に打開したのは、いつも我らがラージャスタンの精霊使いが操る刃だった』と。ブリエスカのみなさん、聞いたことは?》」

「《いえ》……」

 ヴァルーがこちらを見たので、シフルは頭を振る。セージたち三人も、それぞれ試合相手の女子生徒とともにいて、首を横に振った。

「《そうかもしれませんね。とはいえ、精霊使いが剣を振るうだけで戦線が打開できるなら、休戦協定など結びはしませんが》」

 前のプリエスカ・ラージャスタン戦争、精霊召喚士同士の戦いのなかで剣が重要な意味をなしたことが、プリエスカや理学院、ついでに留学用特別カリキュラムのなかでさえ触れられていないのは、おそらく意図的なことだろう。しかし、ラージャスタンの言いまわしも誇張がないとはいえない。ヴァルーは慈善園関係者ながら、そのあたりを冷静にとらえているようだった。

「《とにかく、精霊の戦いで埒があかなければ、最終的にはどんな手段も講じる。それが戦争というものでしょうね》」

 ヴァルーはそうまとめた。「《ですから、慈善園では基本的にあらゆる状況を想定した訓練を行います。皇帝陛下をお支えするのに不足があってはいけませんから。ブリエスカのみなさんも、衛兵としての任務に就かれる以上は、やっておいて損はありません》」

 ヴァルーが合図すると、赤い袴の女官が現れ、生徒たちに剣を配りはじめる。受けとって、シフルはどきりとした。重い。

「《本物》?」

「《もちろん。練習剣で戦はしません》」

 シフルは鞘を払うこともできず、しばしそれを凝視する。理学院の体育の授業で使った模擬剣とはちがい、鞘からして宝石が散りばめられた、美しいものだった。

 シフルは鞘から刃を引きだした。薄く滑らかな諸刃は磨きぬかれ、そこに映る自分の両目が見返してきた。

「《理学院では剣術は習いましたか?》」

「《大丈夫です》」

 ヴァルーの問いに、セージが答える。

「《問題ありません》」

 とは、ルッツ。

「《真剣は扱ったことがないですけど、まあ最低限は》」

 メイシュナーは自信なさげだったが、シフルはそれさえも言えなかった。それどころか、オースティンの一件のせいで恐怖心もある。

「《それならよかった。でも、大きなけがはしないように気をつけてくださいね》」

 ヴァルーは特にシフルには注意を払わず、話を進めた。「《それでは、試合を始めてください》」

《はい》と園児たちは答え、おのおのの相手に向きなおった。セージもルッツもメイシュナーも、ヴァルーの宣言と同時に試合相手に振り返り、相手にも他の生徒にも負けない気迫で試合に臨んでいた。

 中庭にいる二十名のうち、ある者はさっそく剣を抜き放ち、ある者は先手必勝とばかり風(シータ)を呼び、またある者はいまだに動きださない。

 シフルとミーザンは、そのなかの一人だった。

 シフルは剣をもてあまし、とりあえず鞘に戻した。精霊をもってか、剣をもってか、とにかくミーザンの動きを封じる。それが、シフルが今なすべきことだ。しかし戦術を練っている暇はない。すでにヴァルーは試合の開始を宣言し、シフルはミーザンと約束した——この試合で負ければ、命を落とすつもりでやる、と。ミーザンの真剣さとの、真剣な約束。

 シフルはミーザンの薄い色の瞳を見据え、指を数えはじめた。剣をもったまま、空いた指を使って。ミーザンは軽く口角をあげる。

 ——いざ。

「火(サライ)よ、オレに力を貸してくれ! ——」

 少年の声が、中庭に響きわたる。それが、少年の閧の声だった。中庭にいる園児たちと留学メンバーが、一斉に振り返った。

 少年の言葉は、禁じられている現代プリエスカ語だった。無我夢中で戦おうとする少年には、外国語など使う余裕はなかった。ここが生か死かという場所であるなら、郷に入って郷に従うかどうかなど、問題にならない。郷に入って郷に従うのは、その場所で生きていくため。今ここで自分が死ぬとしたら、最後に使う言葉はきっとプリエスカ語だ。

「《それでいいんです!》」

 ミーザンも駆けだした。プリエスカの少年シフルと、ラージャスタンの少年ミーザンの試合が始まった。

 シフルの召喚した六級火(サライ)がミーザンに襲いかかる。ミーザンは例によってこれといった合図もなしに水(アイン)を呼びだし、火(サライ)を呑みこませた。

 明らかに六級より強い精霊が、シフルに覆いかぶさってくる。かたまりになってシフルを呑みこんだ水は、火(サライ)を防ぐだけの指示しか与えられていなかったようで、少年をずぶ濡れにしただけで流れ去った。

 シフルは髪からしたたる水をぬぐう。ミーザンもたぶん強い。だが、いかに真剣勝負とはいっても、ラーガを授業中に呼ぶわけにはいかない。シフルに扱えるのは五級精霊が関の山だ。ミーザンに上級精霊を次々くりだされたら、まず勝ち目はない。

 勝ち目があるとするなら、ミーザンに精霊を呼ばせないこと。それに、精霊召喚以外の要素——剣だ。シフルは柄をにぎりしめ、それから鞘を払った。

「《さっそく? ……いいよ!》」

 ミーザンは楽しげに笑い、鞘を払う。

 ルッツといい、カスバといい、強いのは戦闘を楽しむ者ばかりか。シフルは少し笑った。ゆっくりと、フォームを意識して剣をかまえる。

 ——こういうやつには、絶対に負けたくない。

(生死を賭けた戦いを楽しむ危うさに、圧倒されるのなんて、ごめんだ)

 戦いは、何のためにあるべきか。生きるためだ。できることなら戦いたくないというのが本音だけれど、精霊への興味が戦いに直結してしまうなら、ただ、自分が生きるために戦う。

(あ、そうか)

 ここまで考えて、シフルは理解した。(慈善園の連中も、同じなんだ。生きるための戦いが『死にものぐるい』で、それが『狂信者』の出発点)

 では、ミーザンやカスバは? ルッツは? 「生きるため」を通り越して、戦いをただ楽しむというのは、何を意味しているのか。

(三人にとって、戦いは『遊び』なのか? うーん……)

 考えようとしても、さっぱりわからなかった。たった今、シフルは戦いを楽しめず、彼らは楽しんでいる。同じ場所にいるのに、生きかたが全然ちがう。それは、ごく当たり前のこと。

(……でもオレは今、オレが生きるために、生きていくために戦う)

 シフルは自分のなかで答えを出した。(それで、勝つ!)

 少年はかまえた剣を、勢いよく振り下ろす。

 もとより剣術の腕でミーザンに勝てるとは思っていないので、思いきり相手の刃にぶつけてやった。全力で叩きつけたので、シフルよりずっと小柄なミーザンは、剣を取り落としかける。

(効いた?)

 まさか目に見えて効果があるとは思わず、シフルは驚いた。シフルも体格のいいほうではなく、同年代ではむしろ小柄な部類だ。成長期もまだであり、今はセージより背が低い。だから、そんな部分で優位に立てるとは考えていなかった。が、よく見てみれば、ミーザンはずいぶん小さい。シフルよりも年下なのだろう。

(体格はミーザンに勝ってる)

 少なくとも、ひとつは有利な点がある。(精霊召喚も剣術も不安が多い。ただひとつ、これだけがオレが勝ってる部分なら、使うしかない)

 少年はミーザンに向かっていく。ミーザンが体勢を立て直さないうちに、力いっぱいたたみかけた。ミーザンがなんとか受け流すと、何度でも間髪いれずに叩きつけた。

 首をいきなり狙うような真似はせず、やみくもにでも連続で攻撃をくりだし、相手の隙をつくろうとした。シフルの精霊召喚が効果を及ぼせるとしたら、そのときしかない。シフルはミーザンが何と思おうとかまわず、めちゃくちゃに打ちまくった。

 でも、こんな状況で果たして精霊が来てくれるのだろうか? 集中した状態でも、精霊召喚はむずかしいというのに。

(やってみよう)

 真剣勝負の約束は約束、でもこれは練習試合なのだ。シフルは全力で息を吸いこんだ。

「火(サライ)!」

 剣を止めるわけにはいかないので、指は折ることができない。いちかばちかの実験である。「オレを助けてくれ! 試合に勝ちたいんだ!」

 それは、召喚の際の決まりきった文句ではなく、心底からの吐露だった。

 半ば叫びつつ、シフルはなおも剣を振るう。体格差を頼みに、力の限りミーザンの刃を打ちつづけた。

 ミーザンの剣技のほどは知らないが、おそらくこういう少年のことだ、実力をきちんと発揮された日には、こちらに勝ち目はないだろう。だから、精霊召喚の隙を与えないのと同様、剣を振るう隙も与えない。そして反対に、相手の隙をつくりだす。

 日ごろそこまですばやいわけでもないシフルは、無我夢中で剣を振るった。徒競走ではいつもクラスでほぼビリだし、運動音痴といってもいい運動神経なのだ。それが突然スピードを出そうとしても、とにかく必死にやる以外すべはない。何も考えずに必死になろうとするシフルの頭には、もはや必死の二文字以外なかった。

 そういうわけで、つい数秒前に自分が何を言ったのかも、シフルは忘れていた。だからそのとき、何が起こったのか、自分でわからなかった。

 シフルが、もはや何度めなのか、自分の剣をミーザンの剣に叩きつけたとき——少年二人の目の前で、何かがごとんと音をたてて落ちた。

「んっ?」

 急に手応えがなくなり、シフルは手を止める。ミーザンは目をみひらいた。

 彼の刃の、半ばから先がなかった。

 

To be continued.

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